中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

82年間生きて、感じること(7)「映画・続き」

(6)映画の話の続きを書きましょう。
 トーキー映画になっても、今のようなセリフ回しは同時録音
 が難しかったのか(フイルムの横に音声信号が入っている)
 せりふ回しもゆっくりだった。
 だからこそ、当分の間は無声映画活弁士つきというスタイルも
 通用したのかもしれない。
 あのころは、時代劇しかなかったのか、時代劇しか見せてもらえ
 なかったのか知らないが、時代劇ばかりだった。
 時代劇というのは勧善懲悪のストーリーなのでわかりやすく
 作られている。
  私は映画をみながら父に「あの人は、ええか、悪か」と何度も
 尋ねて、うるさいと叱られたことがあった。
 「ええとは、良い人、善人」のことで悪は、悪人のことなのは
 わかっていただけると思う。
  カラー映画は、総天然色映画と言われていた。
 最初の総天然色映画は、たぶん・・「カルメン故郷へ帰る」だった
 と思っている。
  私が誕生したころにトーキー映画が定着し、それがカラー映画に
 なり、今では4D映画もある。
  でも、私の心に残るのは、若かりし日の「風と共に去りぬ」や
 たくさんのウエスタン映画だ。
 女優では、ヴィヴィアン・リーイングリッド・バーグマン
 マリリン・モンローソフィア・ローレングレース・ケリー
 キャサリン・ヘップバーンなどなど・。
 男優では、ゲイリー・クーパー、ジョン・ウエイン、アラン・ドロン
 マーロン・ブランドジャン・ギャバン、などなど・・。
  大阪のスバル座にはよく通った。松竹座で上映していた「風と
 共に去りぬ」など、数々の映画が懐かしいな。