日記を書くことによって、後日「思い当たる」ことにしばしば遭遇する。
昨年の4月、5月は私の体の中で大きな変動が起こりつつあったよう
なのだ。
2014年4月29日の日記に「頭が異常・宇宙にいるみたいだ。高山病
とはこのような感じなのか」
5月1日と3日には「頭の鳴りがひどすぎる。たまらん」
5月8日には「昨日、今日、僅か1000歩ほどなのに息が切れる」
実は、この記述が私の命を奪いかねない危険信号だったのだという
ことが後でわかったが、当時はまだそのことに思いが至っていない。
5月9日「役員会の帰り、歩けなくなった」と書いている。
この日、住んでいるマンションも含む地域の管理組合の副会長として
大月台の会館での役員会に出席した。
帰路は約300メートルほど、緩やかな登り坂なのだが、あと50メートル
と言うところで、呼吸が苦しくなって動けなくなった。その前の家の犬が
激しく吠え立てるのだが、どうにも動けないので、しばらく耐えた。
帰宅してすぐ医院へ行って事情を話したが、喘息の悪化という診断
だった。私は医師に「喘息だと自分でもわかるが、これは喘息ではない
と思う」と訴えたが、聞いてもらえなかった。
5月12日には、私の最期を看取ってもらう予定の医師にも事情を話した。
その医師は「間質性肺炎のような感じですね」という。
私は、肺のある部分だけが異質な感じがする、喘息ではないと思うと
述べた症状に対するものである。
2012年、2013年の同時期をみると、年を経るごとに夫婦とも体力が
衰えてきていることが鮮明に浮き上がる。
日記を書くのは、その日の僅か5分ほどの時間。思いついたことを書く。
深く考えもしないでかく。それだけに、あとで読み返したときに、繋がりを
感じる。
5月9日の、あの事件・・は、肺塞栓症が悪化しつつあったものだった。
いつ死んでいてもおかしくはなかった・・そんな病気だった。