中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

痛みの度数について考える(1)

痛みの度数について考える(
 緩和病棟などにお見舞いに行くと、その日の痛み度を記入する紙が置かれていたりする。もちろん継続した痛みのある患者に対するものではあると思うのだが、医療者が患者の痛みの具合を知って、それを治療にどのように反映させるのだろうかとおもう。
 もし、最初に記入した日に「10」と書いてしまって、翌日がもっとひどい痛みだったら、どうするのかと思ってしまう。痛みは主観的なものであるだけに、記入する患者も、それを受け取る医療者も難しかろうと思ってしまう。
 
 ほとんどの人は、その生涯になんどか肉体的痛みというのを経験しているだろう。
私が最初に痛みを感じたのは、いつ、どんな時だったのかと思いを巡らせてみた。
記憶に残っているのは、走っていて転び、ひざ小僧をおもいきり擦りむいた時だったと思う。血がたくさん出てきて、その血には砂がいっぱい付着していた。砂を手で払おうとすると、ざらざらとした砂が皮膚に食い込んで、いっそう痛みがひどくなった。それがいつのことだったか、まったく覚えていない。
 10歳のころ、稲刈りをしていて、左人差し指の第1関節と第2関節の間をグサッと
切ってしまったことがある。血が噴き出した。痛さよりも血の量と、指がちぎれそうになったことに驚き、シャツで手当てしたことを覚えている。しかし、その怪我のことを
祖父母には言わなかった。どうして言わなかったのだろうと、今考えている。その傷は50歳ぐらいまでは冬になる度に痛んだ。神経が切れていたのだろうとおもう。
私の10歳のころは、農業のお手伝いをしているというようなものではなく、一人の労働者としてあてにされている存在だった。だから指を怪我したからといって休むようなことをしなかった。もちろん医者にもみせなかったというより町に医者は一人しかいない時代だった。
 20歳のとき、腹がしくしく痛んだので、仕事を二日間休んだら、親方から病院へ行けといわれ、病院へ行くと慢性盲腸だった。癒着していたために手術に時間がかかったが、三日後に退院させられた。当時としては早い退院だが、人気があった病院だったのでベッドを明ける必要があったのだろう。ゆっくりと静養したかったのだが退院二日後に仕事に戻された。手術跡が痛くてつらかったが1週間もすれば治まっていたように思う。
 40歳の時、ひざが痛くなって歩行に困難な日が1週間ほどあったが、ある日突然治ってしまっていた。その頃、右耳真珠腫手術を顕微鏡下で6時間に及ぶものを受けた。
術後に痛みがあったように記憶しているが、確かな記憶がないということは、厳しい痛みがなかったということだろう。