中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

銀メダル・渡瀬選手の活躍に感動も、記者は真実だけを書いてほしい

 ノルディックスキー複合個人ノーマルヒル競技での渡瀬暁斗選手の活躍
に手を強く握りしめながら声援を送っていた。見事な銀メダルだった。
悔いのない銀メダルだといってよい。
 5大会ぶり20年ぶりのこの種目の銀メダルだった。
 ところが、渡瀬選手を紹介する記事となると、記者の創作が気にかかる。
記事というものは、捜索があってはならないのだ。美しく書きたいという気持ちは
理解できるが、真実を書くのが記者に与えられたつとめである。
 ここでは毎日新聞の一面に書かれたものと、神戸新聞の29面に書かれた
ものを比較してみる。
 毎日の一面の記事の中では渡瀬選手のについて、「長野」の熱気が原点として
紹介されている。1998年の長野オリンピックに、小学3年生の学校単位で観る
機会があった。日本が金メダルを取った団体ジャンプも視界を遮る吹雪で選手
が飛ぶ姿を見えず、記憶にも残っていない。ただ、鮮やかなウエアを着た観客の
熱気、鳴り響くラッパ、大歓声は覚えている。そして冬が終わるころにジャンプを
はじめていたというような内容だ。
 神戸新聞のほうの記事も大きい。共同通信社が出した記事なのだが、大まかには
毎日新聞と変わりはない。違っているのは「ジャンプで日本の団体が金メダルに
輝くのを目の当たりにした」という点だ。少しの違いのようだが、私には大きく
違って見える。
 目の当たりにした・・・というような創作的な書き方が、佐村河内氏のような美談
を生み出し、美談に乗っかって詐欺同然の人物像まで作られてい行く。
和製ベートーベンと言い出したのはどのマスメディアの誰なのだろうか。
 渡瀬選手の素晴らしい活躍はいくら褒めても足りないくらいだが、だからと言って
美辞麗句を並べ立て、創作されては彼も迷惑だろうと思う。