世界中の国々には、それぞれのお笑い文化がある。世界共通のお笑い文化もある。
日本でも東西でお笑い文化の違いがある。ことほど左様に、お笑いというものは、
その国や地域の文化と切っても切れない関係にあるものだ。
河内地方などの荒っぱい言葉使いまで大阪弁として取り入れられている。
本来の大阪弁は、もっと品の良いものなのだ。
作家・脚本家の花登 筐(はなと こばこ)さんの作品や、山崎豊子さんの作品にも
大阪弁の良さがよく出ているので、味わってほしいものだ。
そういう意味で、今の大阪漫才は、大阪弁を利用しすぎていて気持ちが悪い。
大阪のおばちゃんもよく引き合いに出されるので、大阪の女性は不快だろうと思う。
これらは文化を反映しているというよりも、話をでっち上げて面白くしているだけなのだ。
そういうことになったのも、客の質が落ちたからだと思う。
たとえば、落語には江戸の庶民生活を取り上げたものや、大阪の庶民生活から
生まれたものが多い。
しかし、昔のことを知ろうとしない若者が、そのような落語を聞いてもさっぱり理解
出来ないのではないだろうか。そこに三枝さんのような「新作落語」がでてくる土壌
がある。新作だと行っても、三枝さんの落語には、ちゃんと文化を反映させている
から面白いのだ。
外人と結婚して、何十年と外国に暮らしていても、その国のお笑いについて行けない
と嘆いていた人がいた。その人の話では、何十年間、外国で毎日ビジネスとして英語を
話していても、劇場などでのお笑いの場面などで、みんなと一緒に笑えないという。
このような話はよく聞いた。なぜかと言えば、お笑いには、その国の文化的背景が
分かってないと笑えないからだと言う。
若者が、古典落語で笑えないのと同じなのだ。
落語を通じて、もっと日本の文化を知ってほしいと願っている。それが理解できないで、
国際文化交流など出来るわけがない。歌舞伎、文楽からも多くのことを学べるものだ。