中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

落語にモノ申す

 昨日は、今の漫才に文句をつけた。「文句を言って怒られたらどないすんねん」
「謝ったらええやんか」こんなやり取りが分かる人は、インターネットなんかやって
いないかもしれない。
 最近の落語は、漫才ほどでもないが質が落ちている。
でも、落語に関して言えば観客の質の低下と完全にマッチすると私は思っている。
その理由は、次回の「笑い文化と外国語」の中で書くことにする。
 客の質が落ちている原因はいろいろあるが、一つは民放テレビと言うものが世に
現れてからである。
 なにしろドラマや映画などでも、15分ほどでコマーシャルが入る。30分とか1時間
ずっと見続けることがなくなり、集中力が要らなくなった。その辺りから、学生たちは
教室内の授業でも15分ぐらいしか集中できなくなったものと思う。教室が荒れ始めた
のもその頃から少しずつ始まった。
 集中力のない親に育てられ、マナーも教えられないで育った子どもたちは、どんどん
教室で荒れる。
 話が、ちょっとずれたので戻す。落語の話だった。
 落語もテレビでは15分程度のものが多くなってきている。それじゃ落語とは言えない
のじゃないかとも思う。
 昨日の記事を読んでいない人のために、もう一度書いていきたいことがある。
桂文枝師匠(三枝さん)のことだ。重複するがお許しを。こんな逸話を知ってって
私は古い人間だなと思うし、文枝さんも「しょうむないことを知ってまんな」と嫌がる
かもしれないが、事実である。
 今をときめく桂文枝師匠(大阪落語協会会長・元、三枝)さんが、道頓堀の角座で、
客にやじられ、話の途中ですごすごと降りてしまったことがあった。
それほど、お客さんは厳しかった。その時は、そのすぐ後で出てきた笑福亭仁鶴さんが、
三枝さんをやじった酔客を逆手にとって場内を爆笑させ、酔客の方が恥ずかしくなって
立ち去ったという場に私がいた。それほど厳しい中で、三枝さんは成長し、今の文枝
師匠にまでなれたのだと思う。芸人を甘えかせていては、芸は育たない。