中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

人の命にかかわる重さを感じる

 私は、がん患者のサポートをしている。
がん相談も受け付けている。
だから、日々がん患者との接点が途絶えることはない。
ひと口に「がん」といっても、決して同じではない。
相談を受けていて、「あなたのがんは心配いらないですよ」と、
思うものもあり、そのように伝えても、本人は納得しないのか、
がん患者であり続けたいのか、がんであることを固く信じている人もいる。
 しかし、本当のがんと言うか、命の先が見えているがん患者も少なくない。
そういう、命の先が見えているようながん患者との関わり方が難しい。
長い間、がんと戦い続けていて、自分の命の先が見えている人の場合は、
腹を割った話し合いができるし、気も重くない。
 しかし、初発のがんであり、部位や病期が厳しい場合においては、
患者本人は、病気の内容を知っており、命の先が見えているような
場合でも、心構えと言うものが出来ていないことが多い。自分のがんに
対する理解と、自分の命の期限との納得がちぐはぐになっているだけに、
見ていて、こちらが苦しくなってくる。
 そういうがん患者が、幾人かが重なってしまうと、私の体調までおかしく
なってくる。まだまだ修行が足りないのかと反省しきりだが、ある意味では、
これまで幾多の苦難を乗り越えてきた私だからやれるのかもしれないと、
納得させようとする自分がいる。
 高齢になってからのがん患者なら、残された命が短くても・・・などと
思う人が少なくない。しかし、高齢だろうが若かろうが、残された命という
意味においては、その心情は変わらないということを、多くの人たちに
知っておいてもらいたい。
 いつ死んでもいいよ、と言っている人でも、あと半年で命が尽きると
分かれば悲しいものなのだ。半年などと言う時間は、あっという間に
来るものだからである。秒読みは、ロケット発射とか、新年を迎える時には
期待にあふれているものだが、命が尽きる秒読みは辛いものなのだ。
 やはり、命は尊い。一つしかない命だからこそ、無駄にしてはいけないし、
しっかり生きなければいけないと思う。命の最期を思う時、それまでの
人生のあり方に悔いがないようにという、心がけがある方が良いようだ。