中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

議論は喧嘩じゃない

 日本で議論していると喧嘩になる場合が多いようだ。
議論と喧嘩はまったく別なのに、どうしてそうなってしまうのか。
議論は口げんかのことではない。
オーストラリアの国会での議論などすさまじいばかりだ。
口角泡を飛ばすような激しい口調で言っているようであっても
理路整然と議論をしているのだ。
そもそも、日本の国会のように、質問内容を事前に提出しておく
などと言った田舎芝居的なことはやらない。すべて、即興であるから、
質問内容だけ答えを官僚に準備させておくなどと言うようなことが
できない。
 日本の記者クラブの存在も、国会質問の事前提出もおかしな
習慣というか、だれかに恥をかかせないような仕組みになっている
だけで、国民にとっては、本音を聞き出せる機会を失っていることに
なる。
 国会質問まで、本音ではなく建前でやられては、面白くないというものだ。
日常生活の場でも、まともな議論などほとんど行われない。
ぶつけられた質問には、正面からぶつけ直したらよいのに、避けてしまう。
避けているから「蔭口」になってしまう。場合によっては、その蔭口は
組織以外の人にまで及ぶので、組織の秘密漏えいになる場合だってある。
 正面から堂々と議論するというのは、前回にも書いたら、知識と情報を
豊富に持っていないとできない。勉強不足の人は、議論さえできない人と
して、西欧では軽んじられる。
口角泡を飛ばすほどの議論をしても、そのあとで握手を交わすのも
紳士たるものの常識でもある。決して、憎んだり、恨んだりはしないものだ。