中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(78)

 「はーい! 2時です」は、キー局を東京12チャンネル
(現在の東京テレビ)として、関東地域の全エリアと関西では
京都テレビ大阪テレビサンテレビのエリアに放送される
ことになっていた。メインスポンサーは高島屋である。
 放送前日の夕方からレストランで食事をしながら打ち合わせを
する。第1回の放送は、まず局アナが二人のプロフイルを紹介する
形で進行する事になっているという説明だった。夕食が終わって
スナックへ行き、カラオケを歌って騒いでいる間に午前四時を
廻っていた。
 放送当日、2時からの放送に備えて、午前9時に局へ来るように
言われている。なにしろ午前四時まで飲んで歌って騒いでいたの
だから少々朝が辛い。何度かリハーサルをやって昼食を摂ると、
あっと言う間に時間が来てしまった。番組名が「ハ~イ2時です!!」
というので当然のことながら午後2時から1時間の生放送である。
録画してあとで編集するのとは違い、生放送と言うのは、想像以上
に神経を使うし、難しい。何しろ失敗するとそのまま映像が流れて
しまう。秒読みが始まった瞬間から緊張が始まる。もう35年も前
の事になるのでその当時の心の状態は忘れてしまっているが、とに
かく始めて体験する事ばかりだったので、やはり相当緊張していた
のだと思う。
 台本をもらったのが放送日の3日前であった。台本と言うものを
見たのも始めてだし、三日間でこれを覚えなければならないのかと
いうプレッシャーがきつかった。
  台本には、進行に関するすべてが書かれている。せりふのすべて
がそこに書かれている。
 第1回目の放送は、局アナ主導で私達がお客と言う立場だったから
、多少気が楽だった。
「はーい、入ります。5,4,3,2.1」ディレクターの大きな
秒読みの声があって放送はスタートした。時々コマーシャルが入る。
提供は百貨店の高島屋である。テレビショッピングの時間もある。
 とにかく放送が終わった時に、びっくりカメラではなく本当の
ワイドショーだったんだ!!と、初めて実感した。それまで、まだ
まだ信じられない状態が続いていた。何しろ、話があってから、
半年間も何の連絡もなかったし、詳しい打ち合わせも当日の朝に一度
やっただけなのだから。どこかに信じられない思いが付きまとって
いたのも仕方がない。
 放送が終わって反省会が開かれる。ディレクターは「中原さん、
落ち着いていましたね。たいていの人は、テレビのものすごいライ
トを浴びるとびびってしまうのですが、とても初めてだとは思えま
せんでしたよ」と褒めてくださったので、つい調子に乗って「いやー、
私のこれまでの42年間の人生がリハーサルみたいなものですから」
と言って大受けしてしまった。