今朝のNHK連ドラ「おひさま」を観ていろんなことを考えた。
先週から戦争中の小学校風景が何度も出てきたが、終戦当時小学5年生
だった私の体験と全く同じだった。実際にはもっと過酷で、毎日のように
山へ薪作りに行ったり、校庭に防空壕を掘ったり、布バケツを持って海まで
塩水を汲みに行き、竹登り台のてっぺんからぶら下げた筵(むしろ)に向かって
塩水をぶっかけたりしていた。塩水が乾燥して塩が採れると言う、(ほとんど
採れない)馬鹿げた作業だった。
ドラマのような藁人形に向かって竹やり突撃などもやらされていたものだ。
ことも絶対忘れることが出来ない。
私は、大阪で3月13日の大空襲にも遭遇している。東北の津波と比較する
のは不見識かもしれないが、私にとっては、あの大空襲の方が怖かった。
なぜならば、空を見上げれば花火のように降ってくる焼夷弾。空は真っ赤に
染まり、周囲は焼けて逃げ場がない。津波なら逃げる方向は分かっているかも
知れないが、大空襲の場合は必ず深夜であり、周囲が燃えていて逃げ場が
無いのだ。道路のアスファルトは、熱で溶けて足を取られて無くなる方が多
かった。
翌日から数日間は、焼け残った材木の上にトタン板をかぶせて、その上に
山のように死体を載せて焼いていた。大阪市が対応できるような状態では
なかったということだ。それは地獄絵図のようだったので、鮮やかに記憶に
残っている。
あの時の戦争も「日本は絶対に負けない」という神話が支配していた。
軍部も政府も、国民にそう信じさせていた。大本営発表は嘘ばかりだったと、
戦後に知った。
そんな現実を何度も経験しているのに、またしても国は国民を騙そうと
している。
だけじゃない。他の原発に対しても再運転を呼び掛けている。政府は産業界の
圧力に屈しているとしか思えない。
日本の国民は、お人好しなのか、馬鹿なのか。