「トイレのないマンション」と例えられる原発には、別の言い方もある。
それは「墓場のない原発」とか「墓場のない核廃棄物」などと言う。
どちらにしても、糞尿の最終処理が出来無い状態である。
昔は、と言っても私の子供の頃だからさほど昔のことではないが、
田舎だけではなく大都会でも糞尿は「肥溜」に落としていた。これを読んでも
分からない世代もいるかもしれない。トイレというより「便所」で用を足すと、
下にある肥溜という穴に落ちていたものだ。下水が整備され始めたのは
戦後に勃発した朝鮮戦争特需景気の後からだと思う。
それまでは、汲み取り式便所と呼ばれていた肥溜から、業者に金を支払い
定期的に汲み取ってもらっていたものだ。
汲み取られた糞尿は「機帆船」と呼ばれる小型の貨物船に積み込まれ
各地に送られる。港に着いた機帆船から人足が肥樽を担いで陸揚げし、
農村に運ばれ、農家が買い取り、田んぼの隅に拵えた大きな「肥壷」に、
いったん保留しておいて、時期が来れば田んぼや畑に撒いて肥料としてきた
ものだった。
農家は、自分の家から出る糞尿だけでは肥料が足りなかったものだ、
戦後、化学肥料が出て来て、大都会の下水設備が整備され、その様なもの
を見ることがなくなったが、農村では1955年ぐらいまで糞尿が肥料として
使われていたところが多い。
糞尿を肥料として使っていたために、日本人のほとんどは体内に「ぎょう虫」
という寄生虫を持っていたものだ。
原発の話から「臭い話」になってしまったが、人が喰らい、そして出した
糞尿は一旦は便所の肥溜に留め置かれ、汲み出されて、そのまま田畑に
撒かれるか、一旦は田んぼの肥壷に貯めおかれた後に田畑に撒かれた
ものだ。田畑に撒かれた糞尿は、肥やしとなり、やがて土に帰るのだ。
科学飼料を使わずに野菜を育てることである。糞尿をそのままで使うことは
無くなったが、人間や動物などの糞尿を利用して「堆肥」を作り、それを
だろう。
自然の食べ物を食し、糞尿を垂れ、それがやがて自然(土)に帰る。
これが、本当の自然の姿である。しかし、人間が神の領域に入って考え
出した「核融合」という厄介な代物は、帰るところがないのだ。・・続く。