ニュージランドの地震では、多くの日本人が未だに行方不明になっていると言う。
その時、どこにいたかで生死が分かれる。
尼崎の電車転覆事故の時もそうだったが、まさか、その電車があのような転覆の
仕方をするとは、だれも予測できなかった。
しかし、このような天災を正確に予測することは難しいし、人災であるあのような大事故だって
まさかというほどのことで、予測がつかない。
日航機事故の時も、飛行機に乗り遅れて助かった人もいる半面、キャンセル待ちで
乗り合わせwた人もいる。
その時、どこにいたかで生死が分かれたという話しはいくらでも存在する。
このようなことを寿命と言うのでは納得できないが、助かる命と失う命を思う時、やはり
寿命と言うほかないのだろうかと思ったりする。
私もがん患者だが、二人に一人ががんになるわが国ではがんは珍しくない。
それでも、人はがんになって悲しむ。
僅か半年や一年で命を奪われるがんもあれば、5年以上生きられるがんや、10年も
生きられるがんもある。
事故や天災で命を亡くした人たちに較べるとなんと幸せな病気だろうと考えたりもする。
人には、「死に時」と言うようなものがあると思っている。
あの時に死んでおけばこんな不幸な目に合わずに済んだ・・という考え方は昔からあり、
こんなくろうもあるまいに・・・」と嘆くのである。
現在の日本では、自分は死なないと思っている人が圧倒的に多いらしい。宗教を持たなく
なったからだともいわれている。死なないでいつまでも生きられると考える人が増えている
と言うことだ。しかし、やはり死に時と言うものがあり、そこそこで次の世代に譲っていく気持ちが
必要なのではあるまいか。
それにしても、事故や天災であっという間に若い人生を終わることとなった人たちには、残念
だったろうと、とても苦しく思う。ご冥福をお祈りするしか出来ないが、残念だっただろうな・・。
悔しかっただろうな。