中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

不況の時代をどう生き抜くか(9)

不況の時代をどう生き抜くか(9)

(8)に引き続き、つたない私の経験を書こう。

 43歳の時、ひょんなことからテレビのワイドショー「は~い2時です!」の
司会者を女優の入江若葉さんと共にすることになる。女優の入江若葉さんと言っても
若い人たちには分からないだろう。お母さんは、晩年「猫化け女優」などと言われたが
まぎれもない昭和の大女優の入江たかこさんである。
入江若葉さんは、ある年代の人たちでは知らぬ人がいないほど有名な俳優中村錦之助
演じた映画「宮本武蔵」の中で「おつう」という大役を演じて知られるようになった女優さんだ。
TVワイドショーの司会を2年間やったが、これはあくまで私にとっては余興である。

 30歳から大波、小波、山あり、谷ありの人生の中でもそれなりに順調であった私の人生も
突然のようにどん底を迎える。
 若いころから、台風被害、ニクソンショック(ドルショック)による受注台減少被害、
第一次石油ショック、第二次石油ショックで不渡り手形をつかまされる被害と、戦後の経済
ショックのすべてに大波を受け、これでもう終わりかと何度思ったことかしれないが、
何くそ!と思って立ち上がってきたものだった。
 しかし、44歳あたりから疫病神がついたよいうに人生のどん底を味わい、自殺しようかと
何度も考えたものだった。
生きていくために手早く仕事が得られるのはタクシーの運転手なので、なんどもそれを考えた。
タクシーの運転手が駄目だというのではなく、一度楽な道を選んでしまったら、もう2度と
立ち上がれないだろうと苦しい中で歯を食いしばって耐えた。
私の人生で、人生の岐路にぶつかった時に、いつも選んできたのは厳しい道だったからだ。

 友人の紹介で知り合った大阪に本社のある会社社長が、「わしの車(セドリック)をやるから、
うちの会社に来てくれないか。常務として迎える」と言ってくれた。
全く時を同じくして、神戸の建売住宅を専門とする建築会社から、「うちの専務として来てほしい」
と誘いがあった。
 全く同時の話だったので、嬉しいが少々戸惑って、二人の社長と一緒に会食することにして、
3人で話し合った末、地元の建築会社で専務として働くことに決めた。
な~んだ、苦労などしてないじゃないか・・と思う人もいるだろう。
二人の社長は、私と話し合い、私の経験やコミュニケーションのあり方を認めてくださったと
言うことにすぎない。経験が生かされた、経験がものを言ったと思っている。

いよいよ私の「天職」が近づいてきた。次回に譲ろう。