中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(174)私を守ってくれたのはだれなのか

       JAニュース紙2003年6月号原稿

  「世界を見る・考える」第十三回

 戦争とプロパガンダ (その二)

 先日、コンサートホールでドボルザーク交響曲第9番「新世界」が演奏された。 1892年チェコスロバキアからニューヨーク音楽学院に招かれ、妻と6人の子供を伴ってアメリカに渡ったドボルザークは、アメリカという国に新世界を感じ、ネイティヴ・インディアンに感銘を受け、やがて訪れる20世紀への思いをもこめて1893年に作曲したこの「新世界」は、快活で、聴きながら身体が揺れ動くような躍動感に溢れている。大好きなこの曲を聴きながら、激動だった20世紀を振り返った。そしてまた、新たな期待で迎えたはずの21世紀が、アメリカによって「強いもの勝ち」の風潮を蘇らせ、またもや19世紀以前の世界へと逆流している感じを抱くのは私だけであろうか。アメリカは小型核兵器開発を始めたと報じられている。他国に核兵器廃絶を迫りながら、一方で新型核兵器を開発する傲慢な国アメリカはどこに向かうのか。

 さて、先月に続いてプロパガンダについて考えたい。「戦争プロパガンダ・10の法則」アンヌ・モレリ著(草思社)を読むと、理想であるはずの民主主義国家というものがプロパガンダという「嘘の情報」を流す一因だという事がよくわかる。私達は、民主主義国家の中では、かつての日本の軍国主義のような暴走がないものと思ってきた。確かに一面そうなのである。しかし、民主主義国家にあっては、民衆を騙して誘導するという手法がとられる。世界が狭くなった現在では世界をも騙す際にも使われるようになってきている。第1章「ポンソンビー卿への感謝」によると、1928年にポンソンビー卿によって書かれた「戦時の嘘」が著者に「戦争プロパガンダ・10の法則」を書かせたとある。ポンソンビー卿は数奇な人生を歩んだ人であったらしい。イギリス屈指の高貴な家系に生まれ、父が次いで上院議員にもなり、大臣をも経験した後、「イギリスの外交政策を継続的かつ公的に監視する団体」を作り、第1次世界戦争中のイギリス政府によるプロパガンダを批判しつづけた。このポンソンビー卿によって書かれた「戦時の嘘」に中に戦争プロパガンダ・10の法則がある。

 「戦争プロパガンダ10の法則」を紹介しよう。

戦争プロパガンダでは、国民を欺き、戦争に引きずり込むために次の10項目に当てはまるような情報を意識的かつ計画的に流すのである。そして、そのほとんどが嘘であるか誇張されたものである場合が多い。政府機関は国民に次のようなことを流す。

1)我々は戦争をしたくない。

2)しかし、敵側が一方的な戦争を望んだ。

3)敵の指導者は悪魔のような人間だ。

4)我々は、領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う。

5)敵は残忍行為に行っている。

6)敵は卑劣な兵器や戦略を用いている。

7)我々の受けた被害は少なく、敵に与えた被害は甚大だ。

8)芸術家や知識人も正義の戦いを支持している。

9)我々の大義は神聖なものである。

10)この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である。

 以上の戦争プロパガンダ10の法則を読んで「おやっ?」と思われたに違いない。イラク北朝鮮の情報として流されているものと全く同じではないか・・と。しかし、これは1928年に書かれたものなのである。これだけでも、戦争プロパガンダとは何であるかが一目で分かるというものだ。民主主義国家においては、戦争に反対する国民に対して、いかに国民を欺き、戦争へと導いていくかという手法が巧妙に取られる。軍国主義においては軍部が独走して突っ走る場合があるが、民主主義国家の場合は、国民を騙すことによって、国民が一丸となって戦争に向かわせるように仕向けるのである。

 これほど恐ろしい事はない。自国民を騙すのは国民に対する裏切行為であるはずなのに、プロパガンダが巧妙すぎて国民はその嘘を見抜けなくなっている。ポンソンビー卿のプロパガンダ・10の法則に沿って考える事によって、プロパガンダを 1)我々は戦争をしたくない 面白い事に、歴史の事実は戦争当事国のどちらの側も「我々は戦争をしたくない」と国民に向かって言明しているということを明らかにしてくれる。第2次世界戦争においても、ドイツ、フランス、ソビエト、イギリス・アメリカ・日本など戦争に関わった国の責任者はいずれも口を揃えたように同じことを言っている。(1)の中で名言と言ってもいいものをひろってみよう。1921年11月ワシントンで開かれた軍縮会議で、ブリアン・フランス首相は「これまでの歴史の中で、フランスは一度たりとも帝国主義軍国主義に走った事はない。現在のフランスに見られる節度ある態度は、他の戦勝国には決して見られないものである」1939年9月2日ダラディエ・フランス首相は議会で「他国の領土を侵略するなどフランスにはありえないことだ」と述べた。フランスのかつての植民地主義を忘れたかのような発言である。そう言えば3月の国連安保理に於けるフランス外相も名演説であった。さすがフランスというべきだろうが、嘘もここまでぬけぬけと言えるものかとあきれてしまう。「わが国は、戦争を欲していない」と、ある国の大統領とか首相が言えば、それは「戦争を欲している」ということと同意義だと歴史上に残された数多くの証拠が、それを物語っている。

2)しかし、敵側が一方的な戦争を望んだ。

これも、戦争突入に際してのプロパガンダの常套手段になっているにもかかわらず、いまも通用している手法である。第1次世界戦争の場合を丁寧に調べると、フランスとロシアの裏取引が大きく浮かんでくる。そして両国とも国民に召集令を発し戦争体制を整えながらも、ドイツが手を出してくるのをじっと待っていてドイツに手を出させ、「相手から仕掛けてきたから、仕方なく戦争をすることになった」と言う体裁を整えた。これは、後ほど詳しく触れる第2次世界戦争の場合にアメリカ、イギリスが日本に対して取った手法と同じである。第1次世界戦争はドイツが破れ、ドイツにとって屈辱的なヴェルサイユ条約によってがんじがらめに締め付けられた。全てはドイツの責任だと決め付けられた結果である。この場合も年月が経った後の、1925年元フランス大統領ポワンカレ氏が「あの大戦は、ドイツが意識的に起こしたものとは考えられない」と言い、イタリアのニッティ首相も「欧州全体を巻き込んだ悲劇的な大戦の責任は、決してドイツ及びその同盟国だけにあるといえない。しかし、戦争中われわれはみな彼らだけに責任があるとして攻撃の拠り所としてきた。ひとたび戦争が終れば、戦争の原因を改めて論じる事もない」と言い、戦争は「勝てば官軍負ければ賊軍」だと言い切っている。屈辱的なヴェルサイユ条約がドイツをして第2次世界戦争に立ち上がる原因とさせたことは、多くの人の知るところである。

3)敵の指導者は悪魔のような人間だ。

4)我々は、領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う。

5)敵は残忍行為に行っている。

 以上の3項は今回のイラク攻撃の際にアメリカが度々使った手法である。フセインのような悪行をイギリスもアメリカもかつてやったことがないのだろうか?否、彼らこそ、もっとひどい事をやってきたことは多くの人々の記憶にあるはずである。いま日本で騒がれている北朝鮮による拉致問題は、被害者にとっては悲しい、許しがたい出来事である。しかし、拉致問題をいうなら、米、英、ロシアの諜報員による拉致は北朝鮮の比ではあるまい。韓国も、かつて金大中前大統領を日本から拉致したことを忘れてはいないだろう。拉致問題を言うなら、全世界を挙げて、テロ問題と同じ次元で全世界的に取り上げるべきである。拉致問題で、アメリカに「北朝鮮経済制裁」をお願いするなどは、気持ちは理解できても言うべき相手を間違えてはいませんかと言いたい。これらは、国連を通して世界中が共に考えるべき問題ではないだろうか。

 核兵器を広島、長崎に平気で投下し、東京、大阪などの民家をじゅうたん爆撃させ一夜にして10万人もの民間人を殺したトルーマンこそ、フセインよりも何倍か巨大な悪魔だと私は思うがいかがなものだろう。それともルーズベルトトルーマンは許せてもフセイン金正日は許せないと考えるのだろうか。

 プロパガンダに踊らされる事なく、いつもバランスのある目で世界を見つめるゆとりが欲しいものである。そして、プロパガンダを駆使して国民を騙すタイプの政治家は、絶対に許してはならないのではないだろうか。彼らはいつの世も「戦争を欲して」いるからである。

 「新世界」を夢見てわくわくするような曲を作ったドボルザークは、いまこの21世紀を見てどう思っているのであろうか。決して「強い者勝ち」の世界に戻してはならない。