中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(1)私を守ってくれたのはだれなのか

  (最初に申し上げます。ブログでは、文章の途中でコマーシャルは入りますので、どうか最後までお読みくださるように。

 つたない文章ですが、私小説をの連載を始めます。

一回分を大まかに千字~千五百字程度といたしますが、文節の流れによって

、少々長くなったり、短くなるでしょうからご了承ください。

 現在、すでに原稿用紙800枚書いておりますが、千枚を超える予定で書き始め、

妻が第4腰椎の骨折で私が家事をやる羽目となり、いまに至っております。

 こんご長いお付き合いになりますが、最後までお付き合いくださいますようにお願いいたします。

 昨日、同い歳の山田太一さんが逝去されました。

(そうか、私の余命も残り少ないのだから、これを皆さんに

読んでいただこう)と思っての連載開始となりました。

 私は、それほど多彩な人間ではないと思っております。

しかし、これまでの人生を振り返ると、いろんな事業をやり、

高校まで作り、海外で福祉法人も作り、平成天皇、皇后から

皇居内の御所までお招きいただく光栄を得ました。

 いろいろ病の多い、わたしを生かし続けてくださっている。

それはいったいなになのか。才能少ない私に仕事をさせたのはだれなのか。

 15歳から世に出て、頼る人も少なく、金のない私に仕事をさせたのは

だれなのかと、いつもそう思いながら生きてまいりました。

 「庵の山」も、わたしの人生にいくらか関連があると

思っていますが、そういうことを言うのも今回が人生で

初めてのことです。

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     < まえがき>

 ここに書かれているのは、事実ばかりなので、ご迷惑をおかけするかもと思える

人の場合には、偽名を使っています。

私自身と家族の場合も偽名になっています。全部で四章、30万字程度になるかと

思っています。

 毎日、頑張ってもどんなに頑張っても、二千文字も書けません。

できれば、読んでくださる方も、書いたスピードに合わせて一日に2千文字ほど

のスピードでゆっくりお読みいただければ真意が伝わるかと思っています。

 ワードで書きましたので、標準語しか書けないのです。地元の言葉を多用したかったのですが、赤線、青線が出てきて修正を促してきますので、なるべく標準語にしましたが、時おりは赤線や青線があっても修正せずに

残した部分もあります。そういうことも、事前にご了承をお願い

いたします。

 私はもう89歳になる身ですから、どこまで書けるだろうかと案じていますが、頑張ってみます。よろしくお願いいたします。

 

 では、私を守ってくれたのはだれなのか(1)からお読みください。

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 「わたしを守ってきたものはだれなのか」     奥山有為朗 著

         (第一章)

 

       序 章

  心の中が寒いと感じることがある。

 心の中を風が通りすぎていると思える

ことも、冷たい水が入ってきたような感じが

することもある。

 初めてそれを体験したときは、風邪をひい

たのだと思った。

今に高熱が襲ってくるぞと、身構えたものだ。

 だがそれは、私の身に危険が迫る合図では

なかった。

 やがてココロが寒いと感じたときも、怯える

ことはなくなった。

やがてそれは、私を守るためのシグナルだとも

思えるようになったのだ。

 なにかが私を守ってくれている。そう確信したときから

私はつよくなりはじめたようだ。

 雨露をしのぐという言葉は、近ごろではあまり

使われないようだが、経験すれば、これこそ

生きていく中でもっとも大切なことだとわかる

だろう。

 人のからだは雨と露にとても弱い。夜に

屋外で眠れば、どんなにお天気が良くても

夜露にぬれてしまう。ぬれると体温がうばわれる

から体調を崩してしまうのだ。

 それゆえに、雨と夜露はさけなければならないと、

むかしの人は子供のころから教えられていた。

 ところが、むかしには心の居場所というような、

むつかしい言葉はなかったようでもある。

 幼いころから老いるまで一生をつうじて、きづ

かないうちに求めているものは心の居場所だと

いうことがわかったのは、比較的新しいように

おもえる。

「心の居場所」という言葉をつかったのは、

わたしかもしれないと思うほど、40年以上前

から使ってきた。

心の居場所のない生徒ばかりだったと言ってよいような

子供とたくさん付き合ってきたからかもしれないが、

なによりも心の居場所を探し求めていたのが私自身だった

からだろうとおもう。

 心の居場所のない老人は、認知症になりやすいし、

こどもの場合は、問題児と言われるこどもに

やりやすい。

心の居場所というものは、人が与えるものでは

なくて、自分でつくるものだと言うことが、

いまでも理解していない人が多いのではないだろうか。

その証拠に、心の居場所を作ってあげましょう

というようなグループが存在することでもわかる。

 わたしはいま89歳。3年前に死にかけた

ことがある。医者も、もうだめだと思ったそうだ。

 どうしてまわりが奇跡的というような回復をなし

えたのかと、よくよく考えたとき、わたしにはまだ、

何かやり残したことがあるのではないか、もう一働き

せよと命じられているのかもっととおもった。

 そこで、せめて生涯の記録をふくめて、いい残し

たいことを書いておこうと、ノートパソコンに

向かっている。

事実ばかりを書くが、本名の人あり、偽名の

人ありだということを知っておいていただき

たい。地名などにも配慮した。