菅首相が誕生して1か月を超える。今日の新聞には菅さんの
ことを書いた本の広告の出ていた。おおきく「したたか」と
書かれている。 たしかに、したたかな面が多くみられる。
しかし、時が経つほどに私は別の見方をするようになっています。
「したたか」に見えるのは、知らないことをごまかすためのように
しかうつらない。国会での答弁を聞いていても官僚が書いたものを
読むだけしか能がなさそうだ。 所信表明演説では、10か所ほど
読み間違えもした。自分が書いた原稿ではないからあのような読み
間違いが起こるのだろうが、所信表明という総理大臣としてもっとも
大切なことを述べるのに、他人が書い原稿を読み、それを間違える
なんて、菅さんという人の言語能力があまり高くないことを表している。 安部さんも言語能力が高くなかった。一番ひどいのは麻生さん
だったが・・・。 同じフレーズをつかいまわすというのは、安部さんも菅さんも全く同じ方法だ。 菅さんの場合は「総合的、俯瞰的」
という言葉を何度も使う。多様性というのもよく使っているが、どうも使う局面と合致していない。 学術会議任命問題では、的外れに
つかっている。 国民の国語理解能力が下がっているから、ごまかしがきくのだと思っているとしたら、国民が馬鹿にされていることになる。 そもそも、政治というのは英語では「賢明な」「ずるい」を
あらわすポリティックスという言葉だ。 日本の政治家の場合は、
賢明な・・・の部分が少なくなっているのではないだろうか?
ずる賢いだけの政治家なんて、国民にとってはうれしくない。
ひとことで締めくくるならば、日本の政治家には正直さが少ない。
正直さをなくした政治家は日本の針路を誤らせる人になってしまう。
菅さんは、二階さんの政治力によって誕生したと思っている。
自民党の中にも、なんで菅さんが…と思っている人が少なからず
いるはずだし、俺のほうが‥と思っている人も何人もいるだろう。
また、おれが菅さんを首相にしてやったのだ‥と思っている人も
何人もいると思う。 いずれ破綻の時が来るだろうが、どうも初めに
感じた菅さんへの期待は、もう・・すでに消えてしまった。
中身のある人にはみえない。世の中を上手に泳いできた来た人・・・
だとは思うが。 はやばやと、期待喪失してしまったのは所信表明
演説だった。