中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

齢はとりたくないもんじゃ (13) 腕の出血色が怖いほど

 このタイトルは、いつのまにか「老人日記」になってきたのだが、

まぁ・・いいかという感じで続けます。いつの日か、読んで下さって

いる方がたの参考にもなるでしょうし。

 きょうは、「日露戦争と安倍政権」を書いているときに妻の医院行

の時間が迫ってきたので、ちょっと書き足らないな~と思いながらも

とりあえず(終)にしてしまいました。

 さて、整形外科医院での話です。今日はまずリハビリから。こんな

状態でリハビリ?とおもったが、そこは専門だけに、今日は肩もみ

程度のようだ。妻は肩が凝ったということがない。だからあん摩や

マッサージなんてどうして受けるの?という人なのだ。ところが今日は、

「気持ちよかった」という。腕を釣っているから肩が凝っていたようで、

初めて揉んでもらって気持ちよいということが実感できた・・と。

 左腕の骨折部からの出血がかなりの量だったということが、やっと・・

本人が自覚し始めたようだ。 どんなに注意しても、腕を脇から話して

しまう。顔を洗う場合など、片手で・・と言いながら両手を使い、腕が

上がってしまっている。ところが、皮膚色がどんどん黒くなり、ひろがり、

下がってくる。手首辺りまで色が濃くなり初めて、ひどい!!と、やっと

気がついたようで、怖くなってきたみたい。妻と一緒に診察室にはいる。

 医師の説明のあとで、わたしが医師に確認をする。「先生、どこまで

動かしていいのか、やってはいけないのはどういう動作なのですか」と。

医師は、自分の腕を動かして、こういうのはいけないんです・・という。

だったら、先生からもっときちんと言って下さらないと、私がいくら

言ってもダメなのです。先生は妻の生活習慣をご存じないから、簡単に

思っておられるでしょうが・・と説明する。 そうですか、それは

やってはいけないことですよ、奥さん・・と言ってくれたので、もう

大丈夫かな? 医師より僕の方がよく分かってるんだよ・・といくら

言っても聞き入れなかったが、医師から言われると、素直になっている。

どこの家庭でもそんなものかもしれないが・・。

 腕を脇から離さない。これさえ守っておればいいんだよ・・と言って

来たことが、医師に同じことを言われて、ようやく納得出来たようで、

私への信頼のなさにがっかりだが、これで安心。 

 4週間というのは、治るまでの期間ではなく、皮膚の色が収まるまで

ということだったのだ。治るまでには、まだまだ時間が必要のようだ。

 それまで、私の体力が持つかどうか? 私は何でもできる。料理、

掃除、洗濯もの干しや取入れなどなど。だが、いろんな病を持っている

身には辛いことが多い。喘息管理、腰痛とのたたかい、痔の辛さ。

座っていても骨が椅子に突き刺さる痛さに耐える。尻の肉がなくなって

いるのは辛いこと!! ご婦人は、その点は少し楽かもだが・・男性の

高齢者の中には私のような人が多いものだ。一日10時間の酸素吸入も

やっている。肺動脈の半分が詰まっているからだが、睡眠時には酸素

を吸入していないと酸素飽和度が86~88まで下がってしまう。

肺塞栓症のために、俯きの作業ができない。呼吸が苦しくなる。

 頭の中は、ジャ~ン、キーンと24時間鳴り響いている。

今日はいいことがあった!! 桜の花が咲いていた。 3本もの

桜の木が五分咲きから満開まで。三本とも花色が違う。スマホ

写真を撮ったのだが、スマホからPCへの取り込みが出来ないので

みなさんにお見せできなくて残念。 今日の夕食は楽チン。弁当を

買ってきて、みそ汁だけ作った。妻は味噌汁が好きな方ではないの

で、普段あまり食べられないが、私の作った大根と薄揚げの味噌汁

を美味そうに食べていた。明日はハンバーグにしようかなと思って

いる。ジャガイモ、ニンジン、赤と黄色のパプリカ、ブロッコリー

を使ってね。美味そうでしょう? 美味しいのです。パース時代は

お客さんを招待しては、私のハンバーグをお出ししていましたから。

ただし、肝心のハンバーグは、パース時代は手作りでしたが、明日

使うのは既成の生のものです。