中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

言葉は重いか軽いかを考えよう

 言葉がもつ重みというものがある。 確かにある。 しかし本当に「言葉」は
重いのかと言えばそうではない。
 ことばの重みに負けた形で自殺までしてしまう少年少女たちもいる。たぶん、
言葉と言うものが絶対的な重みをもっていると、思い込んだのだろう。
 私の年代は、さまざまな経験を余儀なくされてきた。 生まれた頃は世界大恐慌
という不景気のど真ん中であったし、小学生入学時には「国民学校」と名を変え
られた。 新制中学校(などと今では言わないだろうが・・新制中学だった)の1年生
からは私が入学した時からだった。 生まれた昭和9年から中学校を卒業した昭和
25年までは、日本が大きく振り回された期間だともいえる。
 その中で「一億総玉砕」(玉砕とは死ぬことです) 「聖戦」いまではイスラムのIS
などが使っていることばですね。 「進め一億 火のたまだ」米英鬼畜」「米英打倒
「欲しがりません勝つまでは」 などなど、このような標語がいっぱい貼り付けてあり
ました。
 戦争が終わると、在郷軍人たちや婦人会の誰もがコロッと忘れたように変わって
しまいました。 言葉なんて軽かったのです。
 でも重い言葉もあるのです。約束事は重い言葉ですが、それさえ破る人がいます。
安倍首相のように、力強く喋っていても、なにも実行しない軽い言葉を重そうにいう
人もいます。
 言葉とは、大切ではありますが、言葉に貶められないようにしなくてはいけない
のです。 広告を見ているとよく分かります。特に健康食品の広告などは顕著です。
そこには信じてはいけない言葉が沢山書かれています。 それも言葉のもつ恐ろしさ
です。 何らかの言葉で苦しむより、自分がもっともっと多くの言葉を知ることです。
 詐欺なども、言葉によって行われます。 言葉には、狂わせる力もあるのです。
だから、自分を磨くことがなによりも大切なのです。