人間が本来持っているのは「善」なのか「悪」なのかということを考えるうえで
私はずっと性善説派でした。 だって、そう考えないと世の中なんて生きていけない
だろう・・とも、思っていました。
今日、iPS研究所の山中教授が謝罪している姿をみて、とても辛かった。山中先生は
性善説を信じる人だったのではないでしょうか。部下が巧妙なデーター偽造、ねつ造を
しているなんて思いもしなかったのではないかと思うのです。もちろん、そうであっても
部下の論文の科学専門誌への投稿にあたっては、チェックをがあったものと思いますが、
もし・・性悪質を信じている人なら、チェックがもっと厳しかったのでは・・などと思う。
それだけに、山中先生はとても悔しいだろと思うのです。
先日、スポーツ選手が同僚選手の飲み物に違反薬物を入れたという事件がありました。
あの時に、常時海外で試合をしている選手たちが「海外での場合はいつも注意してきた
けれど・・日本の場合は心配ないと思っていた」というコメントがあった。そうなんだ。日本に
帰ると安心できたのだ・・だのに・・これからは・・という感じだった。
では外国では基本的に、どうなのだろう? 外国では性悪説の方が幅を利かせている。
日本では、これまで性善説の方が幅を利かせていたように思うが・・果たして・・あなたは?
簡単に辞書的に書くと
全ての人間のこころには善への可能性が内蔵している」と。
それに対して・・と言うより、ず~~と以前の紀元前3世紀ごろの中国の思想家である
筍子(じゅんし)は、人間の本来の性格は悪であり、善とされるものは、後天的に作為した
結果だと」説いている。
紀元前3世紀・・とんでもない時代にそういうことを考えていた人間がいたというだけでも