中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

旅の思い出(10)フランス・パリ(その1)

 2011~2012年にJA・NEWS新聞に連載したものをここに再掲載しています。
旅が好きな方には、古い話してあっても楽しんでいただけると思います。

旅の思い出あれこれ(10) 「パリ (1)」 (フランス)

 パリには何度も行ったので回数は覚えていない。それほど行った。

最初は以前にも書いたミラノ駅から特急のコンパートメントでモンパルナス駅に着いた時だった。到着した時の駅の雰囲気が強烈に印象に残っており、その後、何度もパリを訪れるたびにモンパルナス駅に行ってしまう。しかし、現在では駅舎が建て替えられてしまって昔の風情は残っていない。

カルチェラタン周辺

 最初にパリに行った時、知り合いがパリに留学中だった。彼に連れられて歩いた3日間が、私を大のパリ好きにさせたのかもしれない。私はその後、パリを散策する魅惑に取りつかれるようになったのだから。

 彼はカルチェラタンのアパートの屋根裏に住んでいたので、まずはその周辺から案内してもらった。ご存じのとおりカルチェラタンソルボンヌ大学をはじめ大学の集中している街であり、学生の街である。パリが出てくる小説では必ずと言ってよいほどカルチェラタンが登場する。どちらかと言えば道は狭くごちゃごちゃとした街並みだが、さまざまな国のレストランもあり庶民感覚の街でもある。

ノミの市

 彼と一緒に行ったところで強烈な印象が残っているのはクリニャンクールのノミの市だ。パリには3大ノミの市があるらしいが、最大の規模を誇るのがクリニャンクールなのだし、ノミの市の歴史も古い。

 地下鉄 の終着駅 だった(今は知らない)。駅を出ると辺り一面がノミの市になっていた。整然としたものではなく、好き放題、いたるところ雑然と並べているという感じだった。思い出しても「あの時、買っておけばよかった。残念!」と思える素晴らしいアンティークものも数多くあったが、破れた服や片足だけの靴まで並べられていたのには呆(あき)れてしまった。少なくとも当時は、目利きができれば「掘り出し物」が多かったに違いない。半日歩いて回ったがそれでも回りきれないほど広大なノミの市であり、その規模においても世界一だろう。

子供たちはどこで遊んでいるの?

 パリで最初に思ったのは「子供たちはどこで遊んでいるのだろう」だった。パリという町は大阪や東京と違って中心部にも多くの住宅街があるはずなのに、子供が見当たらない。彼に「どう思う?」と質問しても彼も分からないという。そこで子供探しを始めた。歩いて回っても子供が見つからない。だから、人に尋ねてみた…と言っても彼が聞いたのだが。

 理由は簡単だった。パリの街は一つのロータリーから道路が放射線状に延びている。だから道路と道路との間隔が広い。道路に面して建てられた集合住宅は、奥では反対側の道路の集合住宅と背中合わせの形になり広い中庭が形成されているのだった。子供たちは、この広い中庭で遊んでいたのだった。

夜のレストラン

 日本ではまだ少なかったファミリーレストランは、パリにはかなり多くあった。ファミリーレストランなのに、ここにも子供の姿が見えない。その答えは彼が知っていた。パリでは、大人と子供をしっかり分けて考えているらしいと(後で分かったことだが、それは欧米では常識でもある)。だから、夜は大人の時間であり、子供を一緒に連れ出すことなんて考えないらしいと。そのためにベビーシッターという職業ができたらしいと彼が言う。そう言えば、カップルは、ほとんどが夫婦のようだった。夫婦が夜の時間を大切に過ごしているのだろう。

 レストランに入って注文するまでの時間が長い。日本のようにすぐに「ご注文は?」なんて聞きにこない。注文してから料理が出てくるまでが長い。だから仕方なく?ワインを飲むことになる。あちらのワインは日本のレストランのように高価ではないのでよいが、酒に弱い私などは「早く料理が出てこないかな」と首が長く伸びてしまう。悠長に楽しく食事を味わう習慣が身に付いていない我が身が恥ずかしかった。

昼のレストランでの「男尊女卑論議

 ある日、ランチを食べていると隣席の夫婦が話しかけてきた。もちろん彼の通訳を介してのもどかしい会話だったが、なかなか面白かったので、今でも鮮明に覚えている。

 彼は新聞記者だという。我々が日本人だと分かると「日本は男尊女卑の国だ」と痛烈な批判をしてきたので、反論が大変だった。話すうちに「日本はどこにあるのか知っているか」と尋ねると、フイリピンの東の方だと言う。地図上の日本の位置も知らないで批判だけは厳しい。話すうちに、私が次のようなことを言った。「男尊女卑だと言うが、日本では80%以上の家庭では、女性が財布を握っている。フランスではどうか」と尋ねた。その途端に形勢が変わった。彼は「そんな話は信じられない」と言い、奥さんは「その話が本当なら、日本は男尊女卑とは言えない。私など、決められた家計費にあくせくしているし、彼が出張の時に浮気をしないようについて行くために、家計費を節約して貯金している。フランスの場合は、99%以上、男性が家計を支配している」と切々と訴える。

 日本では、女性が財布を握り、奥さんがご主人の小遣いまで管理している場合が少なくないと言うと、「これまでに聞いた日本人論とあまりにも違っていて信じがたいが、本当ならうらやましい」と言う。徳川時代武家以外では、どちらかと言えば女性上位なのが日本社会だと言ってよい。江戸のように階級がうるさくない地方では、女性の力は大きかったし、今ではそれが強くなっているのではないかと思う。会社や役所では男尊女卑の傾向が残っているが、江戸幕府の名残だろう。庶民は女性上位なのだ。最近の昼間の喫茶室、レストランなどを見れば、それが歴然と分かるはずである。

 パリで新聞記者夫婦と「男尊女卑論」をやろうとは思ってもみなかったことだが、何よりも通訳をした彼は大変だっただろう。まだ留学1年という頃だし、フランス語が流ちょうだとは言えない時期でのことだったのだから。その後、彼は私の従妹と結婚している。

 彼には、3日間パリを堪能させてもらった。普通の旅行では経験できないことがたくさんあった。だからこそ、次回からパリには自信を持って行けるようになったと思う。