人間とは弱いものであるらしい。常に不安という地盤の上に生活をしているために、他と比較して自分が優位であることをひとつの拠り所として生きようとするらしい。そのために「差別」が生まれる。そのような、人間の弱さや習性を利用しようとするのが「政治」であり「政治家」である。
地球上のあらゆる所に差別が存在する。そして差別の制度が、政治家によって作られ、その政治に利用されているといっても過言ではない。
徳川幕府までの日本は、大きな差別はなかったといってよい。その証拠に、秀吉は貧農の出身でありながらトップに上り詰めたし、信長や家康は武士出身でありながら、数代前までは、どこの馬の骨だか分からない家柄だったらしい。
武士集団が成立したのが鎌倉幕府の頃だし、その後の戦国時代も、階級としての武士ではなかったといえる。
徳川幕府は「差別制度」を作ることによって、治安を安定させようとしたのだろう。搾取される「農民」を、武士階級の次に置くことによって満足させ、物を作る者をその次に位置づけ、金儲けをする商人をその下に位置づけた。それぞれの頭を撫でつけて騙しているようなものだ。
さて、「差別」のことであるが、悲しいことに「差別」はどこの国にもある。何度も言うようだが、「差別制度」は為政者が作り上げる。しかし、その「差別」を実行する人がいなくては、為政者の狙い通りにはならない。私達が最も悲しいことは、差別を実行するのは、ほとんどが「知識の低い」人達によっていることである。
私にも、苦い思い出がある。私の子供の頃は戦争の最中であった。朝鮮人が差別されていたころである。その頃、朝鮮人に向かって「朝鮮、朝鮮といってなめるなよ。同じ飯食ってどこ違う」と、他の子供達と、朝鮮なまりで囃立てたことがある。
今、この言葉を思い出してぞっとする。これほどすごい言葉を、意味も分からずに差別語として使っていた自分が恥ずかしい。
子供や、知識の低い人達は、その差別を持つ意味が分からないまま、「快感」として差別行動をしてしまうだけに始末が悪い。
ハンソン議員の発言に戻ろう。彼女は、何を言いたいのだろうか。アジア人やアボリジニが、オーストラリアに居ることが不愉快だということなのだろうか。或いは、働かないで、税金を無駄食いしているから(その人達だけ)いらないというのだろうか。彼女を支持している人達は、何を支持しているのだろうか。私はそれを知りたいと思う。彼女の発言を、単に「差別」と仮定するなら、そして、その支持者もそうだとするなら、「差別」は、決して得にはならないことを教えて上げたい。
差別制度によって国を治めることが出来ても、その場合は、必ず、「怨念」を生み、国の汚点として残る。
ここでは、イングランドとアイルランドの関係について書いてみたい。イングランドは、約八百年に亘ってアイルランドを植民地化してきた。その上、過酷な「差別制度」を作った。
これは、イングランドのアングリカン・チャーチを、アイルランドのカソリック(アイリッシュ・カソリック)に押しつける形で作られた。
アイルランドでは、ほとんどはカソリックだったから、これはアイルランドへの差別と考えて間違いないと思う。
結婚の制限や、新たに土地を購入することを禁じ、法律家、医師、教師、軍人、警官になることを禁じる職業規制、或いは雇用制限と、限りない差別の上に、僅かの収入の内から十分の一をアングリカン・チャーチに収めなければならないという収奪をやっている。
それだけではない。一六四九年には、史上希に見る大虐殺をやっているし、働き盛りの青年を奴隷としてアメリカに送ったりもしている。
要するに、イングランドは、アイルランドを信じられないほどに締め上げ、差別してきた厳然たる歴史が存在する。そして、それが、途中で一部緩められたとはいえ、約八百年も続いたというのは驚き以外にない。世界史的に見ても、最も過酷な差別かも知れない。
何と、アイルランドは、第二次大戦後に、やっと独立できたのである。
アングリカン・チャーチは、日本では英国国教会といわれている、立教大学や大阪の桃山学院大学を作った母体である。
八百年も虐げられてきたアイルランドは、十九世紀の半ばに、大飢餓で百万人もの餓死者を出し、百五十万人がアメリカやイギリスに移住している。
アメリカに移住した子孫の中から、ケネディ大統領とレーガン大統領が出ているが、それまで、WASP(ワスプ=ホワイトで、アングロサクソンで、プロテスタント)しかなれなかった大統領に、アイルランド系の人が就任したということは、アメリカにおける、一つの差別がなくなった時でもあった。
また、イギリスに渡った移民の子孫の中から、あのビートルスのジョン・レノンが生まれているが、イギリスでは、今なお、アイルランド人に対する職業的な差別は存在する。
世界中に、悲しい「差別」の足跡が見られるし、世界のどこかで、今も「差別」が続けられている。
人種間で差別があり、国家間で差別があり、宗教間で差別が行われている。
日本では今、「いじめ」という形の差別が充満している。
しかし、何者も差別してはいけないのである。誰が勝者で、誰が敗者なのかは分からない。白人が優れていて、有色人種は劣ると考えるのは傲慢としかいえない。
白人は、ローマ文明の流れを評価し、それ以外のものを認めたがらない風があるように見えるが、アジアのモンゴリアンの流れの中にも、インカ文明やマヤ文明があり、ナポレオンに対してチンギス・ハン(ジンギス・カン)のヨーロッパ遠征がある。ローマの歴史に対して中国の歴史がある。ヨーロッパが国を変えつつ栄えてきたように、アジアでは、日本が栄え、韓国、中国、そして、やがてアジア全土が栄えるだろう。特に、私は、ベトナムがすごい国になるだろうと予測している。
二十一世紀は、間違いなくアジアの時代であるといっても過言ではないだろうと思う。
ポーリーン・ハンソン議員の発言は、この大陸からアボリジニを虐殺して奪い取った思想と変わりのない、危険なものであるとしか思えない。
こんな、恐ろしい思想が、日常穏やかに微笑んでいるオージー達の内面に隠されているとは思いたくないし、そうでないことを願いたい。
オーストラリアが、アジアを無視して生きていけないのは、火を見るより明らかではないだろうか。
二十一世紀を目前にして、もう我々は「差別」などというものにすがらないで、自己を確立して生きていきたいものである。人種や国や宗教を差別することを止めない限り、二十一世紀も、戦争という馬鹿げた「化け物」に振り回されるだろう。
そして「化け物」は、やがて、この美しい「青い星」を飲み込み、滅ぼしてしまうに違いない。
すべては、「差別思想」が根源にあることを忘れないで頂きたい。
「差別思想」は、「化け物」の大好物なのだから。