中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

第2の人生(33)両陛下から招待を受ける

 前回の続きを書くのだが、間違いがあってはならないので、当時JAニューズ紙に
書いた記事を、途中から転載することにした。
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天皇、皇后両陛下ご臨席の下の式典
  午後三時四十分、天皇、皇后両陛下をお迎えして式典が開催される。両陛下のご臨席は、四十回の大会で初めてのことである。出席の予定だった小渕総理は国会中のため出席できず、総理の挨拶は代読され、続いて高村外務大臣から挨拶があった。いずれも、海外での活躍に敬意を表し、今後も日本のために助力して欲しいというものである。
 天皇陛下から「お言葉」を頂く。
  私たち豪州代表が座った席が右側最前列であり、ちょうど、両陛下のお座りになった側だったために、両陛下の真ん前となって、いささか緊張する。
  式典の中で、皇后陛下に花束を贈呈する場面があった。代表者がステージに上がり、両陛下の席の前まで進み、花束をテーブルの上に置こうとすると、皇后陛下がお立ちになって、花束を直接お受け取りになった。代表者は「予定と違っていたので驚いた」と後で述懐していた。
 天皇陛下は退場なさる際、ステージの最前列まで出て来られて、参加者に丁寧に何度も手を振っておられたし、皇后陛下は、天皇がステージの裾でお待ちになるほど、いつまでも手を振っておられた。実は、式典の始まる前に「天皇皇后、国民と共に」というビデオがスクリーンに映し出された。その中でも特に「阪神淡路大震災」の見舞いに神戸を訪れた時の皇后の姿に誰もが感動し、目頭を熱くしていた。
 式典終了後、バスに分乗して総理官邸へ行き「総理主催レセプション」に出席する。野中官房長官も同席される。小渕総理の挨拶はユーモアを交えた楽しいもので、会場の雰囲気をほぐし、一同、美味しい料理に舌鼓を打った。
■第三日■
 この日のスケジュールは、午前十時からバスに分乗して皇居の特別参観をし、正午からは、憲政記念館における「衆参両院議長主催レセプション」に参加、靖国神社に自由参拝し、NHK見学をした後、夜は、「石原慎太郎東京都知事主催レセプション」に出席してすべての日程が終了する。東京都知事主催のレセプションへの招待に対するお礼の挨拶を私がする事になっていた。
両陛下から御所での「お茶会」に招待される
  前日、大会関係者より、代表者の中から二十五名が御所での「お茶会」に招待されていることを知らされる。
  午前十時、バスに乗って皇居に向かう。皇居の中に入る。これまで、外から皇居を見ることはあったが、中に入ったのは初めてである。美しく広大な皇居の庭をバスは縫うようにして進み、「御所」に到着する。皇居は「宮殿」と「御所」に分かれていて、宮殿は公式の行事をする場所であり、御所は両陛下のプライベートな部分になっている。私達がお招きを戴いたのは「御所」の方であった。
 御所の正面にバスが止まる。カメラの使用は許されていないのでバスに置いて降りた。玄関を入って、何故か全員がトイレに入る。みんな緊張しているのだろうか。廊下には深々とした絨毯が敷かれ、トイレは大理石造りである。
  私達が通された部屋は天井が高く、格式ある雰囲気で、それほど広くはなく、二十五名が入ると狭いほどである。昨日のビデオの中にもこの部屋が写っていた。侍従さんに「この部屋の名前は?」とお尋ねすると、「御所ですから、部屋に名前はついておりません」とのことであった。
 両陛下が入場なさり、一人一人に握手をしながら話しかけてこられる。実は、侍従さんから「両陛下は通常、日本人には握手をなさらないが、皆さんは外国に住んでおられるので…」と説明があった。両陛下は、それぞれに二言三言ずつ言葉を交わした後、部屋の中で別々にお立ちになった。
 私達は、天皇、皇后を交互に囲むようにしてお話する機会を得た。両陛下とも、お話好きで、侍従はどんどん時間が流れて行くのに気を揉んで、時折進行役を務める場面も見られた。両陛下も私達もガラス・コップを手に持ち、お茶を飲みながら懇談するという信じられないほどリラックスした雰囲気の中で、予定を超えて一時間も与えられたことは、私の波瀾に富んだ人生の中でも特筆ものの記念すべき日となった。
 両陛下との懇談の中で感じた事は、天皇の記憶力の素晴しさであった。各国代表との会話の中で、次々に質問を浴びせられる。以前に訪問なさった国についてはポンポンと個人名が飛び出し、とても事前に用意しておけるようなものではないだけに、参加者一同が驚嘆していた。また、美智子皇后は想像以上にお優しく、とても言葉に表せない感動を受けた。私が皇后の「国際児童図書会議」への開会のお言葉について触れた時、「慣れない事を致しまして、恥ずかしゅうございます」とおっしゃったお言葉とお姿を、今も目の前に、はっきりと思い浮かべることが出来る。
 実は、主催者側が事前に提出したリストの中で、私は「シドニー」在住となっていた。私の胸のネーム・プレートにも「中原武志 シドニー」となっていたので、バスの中で書き換えてもらったといういきさつがある。美智子皇后が、私の胸のネーム・プレートに目を止められ、「パースからお出でになったのですね。パースはとても美しいところでした。今もよく覚えております」とおっしゃった。出発前にピアス時江さんから「もし、皇后とお話できるようなことがあったら、パースを案内した私からよろしくとお伝え下さい」と頼まれていた。まさかのことながらその機会を得たので、私は「ピアスさんを覚えておられますか? 彼女から、よろしくお伝え下さるようにとの事でございます」と申し上げると、「良く覚えています。あの時は大変楽しゅうございました。私からもピアスさんによろしくお伝え下さいね」と、お言葉を戴いた。そして、「パースの総領事は鹿野谷ですね」とおっしゃったのには私が驚き、「はい、さようでございます」としかお答え出来なかったが、パースに帰って、この話を総領事にお話したところ、事情が判明した。総領事のお嬢さんと紀宮様がお親しくされているためらしく、やはり、皇后様はパースの想い出を今も時折お話するらしい。
 天皇は「私は、パースの市内を見ておりませんが、あの時はフリーマントルへ行きました。ちょうど日本の船が入港しておりました。皇后に聞きますと、パースはとても美しいところのようですね」とおっしゃった。
 両陛下と参加者たちとの応答をすべて見聞きしていたが、ここで書くには多すぎるので省く。参加者が困るほどご質問が多彩だったことでも分かるように、両陛下はとても好奇心の旺盛な方だと感じた。
  この度、九段会館ホテルに宿泊したこともあって、偶然に天皇の多忙さを知る事になった。九段会館は場所柄、特殊な?人達が宿泊する。皇居清掃奉仕団や、叙勲を受ける方たちなどが多い。そして、その人達も、天皇や皇后にお言葉を頂いているらしい。
 私達がテレビ・ニュースや新聞報道で見ているのは、外国の要人にお会いになったり、園遊会に著名人を招かれたり、叙勲や政府要人にお会いになったり、各種催しにご臨席される程度だったが、ほとんど毎日のように時間刻みで公務に携わっておられるのを知って、驚くと共に、日本の国は皇室で支えられていることを強く感じたものである。
 あるアメリカ人が「我々だって、金で買えるものなら皇室が欲しい」と言っていた事を思い出した。
  両陛下は退室される時にも、一人一人と握手を交わし、言葉を交わされた。美智子皇后の、柔らかで温かいお手に二度も握手して頂いた事は、生涯の喜びである。ただ触れるだけの儀礼的な握手ではなく、しっかりと握り締めて下さったのには感激を新たにした。参加者は、誰もが後で、「どの程度握手してよいものかと迷った」と述懐していたが、それだけに、両陛下の優しくしっかり握り締めて下さる握手には感動を覚えたものである。
 皇室に間しては以前、本紙「J・A・ニュース」に連載したこともある。「天皇は、神主さんの総元締め」的存在であるという見解を書いた。歴史的にも象徴的立場だという意味である。また、私の主宰する「インド洋クラブ」で皇室後継問題を取り上げた事もある。ある意味で、極く平凡な国民的感情しか持ったことはない。
  しかし、今度参加した人達は、私も含めて「天皇の日本国における重要な立場」を改めて理解させられた思いがする。イギリス人の皇室への思いと同じではないだろうか。
 初めての大会への出席ではあったが、貴重な体験も数多くあった。また、海外から日本に向かってものが言える唯一の場所として、今後も「海外日系人大会」を大いに活用すべきだと考える。この大会は、海外に住む日本人なら誰でも参加できるので、来年はもっと多くの人達に参加してもらいたい。今後ともこの大会に出席して、海外からの要望を政府に訴えたい。議題になかったことで、私が提案し、「要望書」に入れてもらったのは、日本文化を世界に理解してもらうためにも、アイデンティティの確立のためにも、NHKの衛星放送をもっと開放すべきだということであった。オーストラリアではケーブル・テレビが取り扱っているシドニー以外では、法人組織しか見られない仕組みになっているし、それもかなりの高額負担になっている。もっと負担が少なくて、誰もが見られるようにすべきだという主張が、「要望書」に採用され、提出された。
 この他、外務省での会議にも出席した。大会参加者側からは九名が参加し、外務省から内藤領事移住部長他七名、JICAから小松課長、海外日系人協会からは塙専務理事、海外移住審議委員会の委員十二名が出席して開かれた。会議の内容は事前に知らされていなかったが、会議後、審議委員長から「さすがによく準備されたご意見でした」とコメントがあったのには驚いたものである。元事務次官や全権大使などで構成される審議委員会にどのようにお役に立てたか知らないけれど、大会参加の代表者達は何事も真面目に一生懸命だったのに好感が持てる。この会議は時間を延長して持たれたが、そのために折角用意しておいたユーモアあふれる?「東京都知事主催レセプション」での挨拶が出来なくなったのが残念である。
 レセプションばかりともいえるが、これらレセプションは、世界各国からの大会参加者の良き親睦の場となり、また、海外からの留学生達も参加してその役割を充分に果たしたと思う。総括すれば、大変すばらしい体験であった。