中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

老いるとは「未知との遭遇」の日々

 名監督であるスピルバーグが作った映画に「未知との遭遇」という
名画がある。
当時はかなりの話題にもなった。ピポパポペと言うような音を今でも
思い出す。
 しかし、今日理髪店で職人に尋ねてみたら、そんな映画は知らないと
いうので「名画だからDVDで観ておけば」と言っておいた。
彼は38歳だとか言っていたが、あの映画もそんなに過去のものに
なったのかと、いまさらながら思う。
 
人間は(動物のことは分からない)高齢になると、昨日まで経験したことが
ないようなことに出くわす。良いことは何もない。すべてが悪い傾向だ。
あちこちが痛くなる。歩けなくなったり、腕が上がらなくなったりする。
上を向いて電球の取り換えをすることもできなくなる。脚立に上がる
こともできなくなる。
 耳が聞こえにくくなる、目が見えにくくなる。どんどん「ないないずくし」
になっていく。言い換えれば「聴力減退」「視力低下」ということか。
 記憶力の減退は著しい。認知症まで進まないまでもどんどん記憶力は
落ちる。それが一番わかるのは原稿を書いている時だ。今日も連載中の
JAニュース新聞4月号の原稿を書いていて、言葉が消えうせて出てこない
のにあせった。最も忘れるのは固有名詞である。このように頭の能力も
減るが、体中のあらゆる部分の筋肉が減る、落ちる。
 毎日が「未知との遭遇」であって、驚くことばかりだ。無理ができない。
ちょっと頑張ってもへばってしまう。去年はできたのに・・・・と思う。
 運動をしないと筋肉が落ちるからと、ストレッチをやると、後遺症の
方が大きく余計に辛い思いをすることになり、踏んだり蹴ったりの状態になる。
 こうして、日々「未知との遭遇」の中に生きているが、その歳にならないと
わからないことばかりだ。
 今の若い人たちは、2世代、3世代一緒に暮らすこともなくなって、
老人の体力の衰えをみないでいるから、自分が70歳80歳を過ぎての
未知との遭遇には驚くかもしれないと思う。
 私のように知っていても、未知との遭遇には驚くのだから。
背中の肉が落ちたために、パジャマの縫い目が当たって痛い。肉が
少なくなって、しわが多くなるからだろうが、かゆくなる部分が増える。
 まさかと思うようなことが毎日いっぱい起こる。
だから、こんなことを書いて、少しでも知って置いてほしいと思うのだ。
両親を大事にしてやってくれよと言いたい。たまには電話をしてやれよと
言いたい。おじいちゃん、おばあちゃんを大事にしてやれよと言いたい。
俺もおじいちゃんだから。