旅の思い出あれこれ(その7)JA・NEWS新聞9月号連載
ニューヨーク(アメリカ)
初めてニューヨークに行った時のことは強烈に記憶している。私が最初に
行った時はJFK国際空港だった。それ以降はラガーディア空港とJFK国
際空港が相半ばしている。
実は初めてNYへ行くまでは、あまり良い印象を持っていなかった。にもか
かわらず強烈な印象を受けたのは、やはり摩天楼だろう。だれが名付け
たかは知らないが「摩天楼」とは言い得て妙である。天を衝(つ)くような
からニューヨークに移り住み、交響曲「新世界」を作曲した気持ちがよく
理解できるような気がする。
<喧騒とエネルギーの街>
街を歩きながらよく見ると、お世辞にもきれいだとは言えない。特に裏町
のビルの外壁や窓枠などにも経年の傷みと汚れが見られて、むしろ汚
いと言った方が適切かもしれない。
それなのに、一日中街を歩いていて私の体に伝わってくるものは、言い
知れぬエネルギーだった。アメリカの他の都市や、ヨーロッパの都市など
で一度も感じたことのない経験だった。エネルギーを体いっぱいに受け
ながら、このエネルギーはどこから生まれてくるのだろうと不思議に思った
ものだった。
街中に車が溢(あふ)れ、やたら警笛を鳴らす。警笛をあまり使わない
パリなどのヨーロッパの都市に比べると品のなさを感じる。車の警笛と
パトカーのサイレンとが一日中交錯しているようなイメージさえある。
汚れが多く、喧騒と品のなさという二つのフレーズで括れそうな都市なの
だが、どっこいそうは簡単に言い表せないのがニューヨークのニューヨーク
たるゆえんでもある。
ともかく最初は、お上りさんらしく国際貿易センターやエンパイアステート
ビルなどに登る。どちらもかなりの時間行列に並んでエレベーターに乗
れた。周囲に超高層が多いせいか、どちらのビルにも感動が湧かな
かった。国際貿易センターの方は、折悪(あ)しく雨雲が眼下に見え隠れ
したのでビルの高さを実感したぐらいである。
ニューヨークには何度訪問したのか正確には覚えていないが、十数回
ぐらいかなと思う。家内とも5回行っている。私がNYへ行こうと誘っても
気乗りがしない風情だったが、一度行っただけでNYが大好きになった
ようだ。
<ミュージカルを見ないで帰るのは野暮>
NYでは何よりもブロードウェイでのミュージカルを楽しむ。「42nd Street」
など同じ出し物を何度も観劇した。
同じ年に、ロンドンのウエストエンドでも同じ演目を観劇したことも数度
あった。
ニューヨークで感じるエネルギーの一部は、ミュージカルにあるかもしれ
ないと思う。世界中からミュージカル出演を目指して集まる彼、彼女たちは
数知れない。毎日を信じられないほどの猛烈な訓練に明け暮れながら
チャンスを待つ。最近「コーラスライン」が復活されたが、そのオーディ
ションに2500人が街に並んだというからすごいではないか。たかがミュー
ジカルなどと侮ってはいけない。その裏に流れている大きなエネルギーが、
ニューヨークを支えている一部なのだ。
<ディナークルーズの魅力>
家内のお気に入りは、ディナークルーズだ。41丁目の桟橋から出発しハド
ソンリバー、イーストリバーを巡る約3時間のマンハッタン一周クルーズだ。
荘厳で華麗な雰囲気が特徴の船には、ロマンチックな月明かりのクルー
ジングに最適な最上階デッキと、ニューヨークの夜景を望む見晴らしの
良い窓がある。ハドソンリバーを下り、マンハッタンの先端を周回した後、
イーストリバーを上り、ブルックリン橋の下を通る。国連ビルや自由の女
神像を通過するとエンパーアー・ステートビルやクライスラービルのアール
デコ調の尖塔が見えてくる。クライスラービルの尖塔はうろこ状の照明が
美しいので、家内と私の間では「うろこのビル」でお互いに理解し合って
いる。船の中の催しも粋だが、何よりも黄昏(たそがれ)時のマンハッタン
の美しさは他に例えようがない。
もし、この記事を読んで行ってみようと思う人にアドバイスがある。下船時
にタクシーの予約をしておくことだ。それを知らないで、下船後をタクシーが
通る道まで歩いて行ったわずか15分間は本当に怖かった。あまりにも暗い
道だったからである。
ホテルは、どこでもよいと思っているが、最初の頃は「北野ホテル」を愛用
していた。レーガン大統領もここのレストランで食事をしたという小ぶりの
ホテルだが、何よりも食事が美味(うま)いのとパークアヴェニューという足
場の良さがある。
<ウエストミンスター・ドッグショー>
毎年2月中旬にニューヨークで開催される名物行事に「ウエストミンスター・
、ウエストミンスターの場合は、会場の都合で選び抜かれた2500頭の犬
が参加できる。会場は、あの有名なマジソンスクエア・ガーデンだ。今年が
135回だったので、このドッグショーが初めて開催されたのは1877年
(明治10年)だったということで、犬との関わり方の歴史の違いを感じる。
私の所有するシベリアンハスキーとシェットランドシープドッグもこのショー
に参加したので応援に行ったことがあり、別の年には数人を連れて案内
したこともある。
何よりも驚くことは、ニューヨークのど真ん中にあるホテル群が、犬の同
伴を認めている点である。このドッグショーの期間はホテルの内外は犬
だらけの様相を呈する。ホテルの屋上は排泄させるための場所になり、
各部屋にはケージに入れられた犬がいる。エレベーターの中では見知ら
ぬ犬同士が鉢合わせするが、牙をむいたり吠(ほ)えるような無粋な犬は
いない。とにかく、あまりにも日本と違うことが多過ぎて驚くばかりであった。
<あれもこれも>
5番街を散策した思い出や、危険だといわれるハーレム地帯にも足を踏
み入れたことがある。メトロポリタン美術館での思い出もあるが、最後に
一つだけ。セントラルパークの中に、屋根の部分がガラス張りのレストラン
がある。一度アメリカ人の友人に連れられて行った時の印象が素晴らし
かったのだが、その後は探しだすことができずにいる。
とにかく、ニューヨークはピンからキリまで何でもあり、マンハッタンは思いの
ほか広いのだ。ひたすら歩く、場合によってはタクシーに乗るが、NYの地下
鉄には乗らないことにしている。