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山川君のこと(生徒の名前は仮名にしてあります)
一人目の山川君は、西宮市の苦楽園中学の生徒でした。
あまり大きくない家の台所で、お母さんと話し合いました。
私は本人の顔が見えないので、「山川君は?」
と、お母さんにたずねると、「隣の部屋で寝ています」と言う
のです。昼間から寝ていることを不思議に思って、さらに
たずねました。
「身体でも悪いのですか?」「いいえ」
「……」
その後、山川君は入学しました。しかし、この昼寝に象徴
されるように、朝寝坊をしてよく遅刻をする生徒でした。
あまり目立たず、おとなしい山川君でしたが、いつの間にか、
入学当時最も扱いにくかった黒木君さえも、一目を置く存在に
なったのは、三年生の頃でした。
飯田君のこと
次に、飯田君を訪ねることにしましたが、番地がとんでいて
、彼の家にたどりつくのにかなりの時間を要し、夕方近くに
なってしまいました。
飯田君は、家にいました。小柄な、言葉のハキハキした、とて
も感じのよい子でした。私が初めて会い、初めて会話した生徒、
それが飯田君だったのです。
彼のお母さんは、こんな話をしてくれました。
「中学校の友だち八人ほどで、『万引きをしよう』ということに
なったらしいのです。その時、息子が、『やめとけ、やめとけ』
と言って、引きとめたので山川君もやらなかったんですけど、
他の子は万引きをして、全部捕まってしまったんです。山川君の
お母さんは、今でもその時のことをとても感謝して下さいます。
この子はそういう子なんです」
私は、飯田君に、「君は小柄けれど、勇気があるんだなあ。
そんなとき、たいていはズルズルと一緒にやってしまうもの
だけど、勇気を出して言えたことは、すごいことだと思う。
これからも、その勇気を忘れないで生きてくれよ」と言いました。
薄い僅か2ページの「学校案内」には、学校の校則として、
"May I Help You?"と、大きく印刷されています。
飯田君は、校訓に照らしても立派な「合格」です。その場で
仮の合格を決めて帰ってきたのです。お母さんも本人も、合格を
とても喜んでくれました。飯田君は、本校に第一番目の合格者と
いうことになります。(彼には入学の時、生徒代表として誓いの
言葉も読んでもらいました)。
第一番目の生徒が決まったとという喜びは、飯田君より私のほうが
大きかったかもしれません。しかし、喜びとともに、大きな責任を
感じました。この一人の少年の人生に私がかかわっているという
責任感は、今までの仕事になかった重い責任感でした。