中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(98)

(98)
山川君のこと(生徒の名前は仮名にしてあります)
 
一人目の山川君は、西宮市の苦楽園中学の生徒でした。
あまり大きくない家の台所で、お母さんと話し合いました。
私は本人の顔が見えないので、「山川君は?」
と、お母さんにたずねると、「隣の部屋で寝ています」と言う
のです。昼間から寝ていることを不思議に思って、さらに
たずねました。
「身体でも悪いのですか?」「いいえ」
「……」
その後、山川君は入学しました。しかし、この昼寝に象徴
されるように、朝寝坊をしてよく遅刻をする生徒でした。
あまり目立たず、おとなしい山川君でしたが、いつの間にか、
入学当時最も扱いにくかった黒木君さえも、一目を置く存在に
なったのは、三年生の頃でした。
 
飯田君のこと
次に、飯田君を訪ねることにしましたが、番地がとんでいて
、彼の家にたどりつくのにかなりの時間を要し、夕方近くに
なってしまいました。
飯田君は、家にいました。小柄な、言葉のハキハキした、とて
も感じのよい子でした。私が初めて会い、初めて会話した生徒、
それが飯田君だったのです。
彼のお母さんは、こんな話をしてくれました。
「中学校の友だち八人ほどで、『万引きをしよう』ということに
なったらしいのです。その時、息子が、『やめとけ、やめとけ』
と言って、引きとめたので山川君もやらなかったんですけど、
他の子は万引きをして、全部捕まってしまったんです。山川君の
お母さんは、今でもその時のことをとても感謝して下さいます。
この子はそういう子なんです」
私は、飯田君に、「君は小柄けれど、勇気があるんだなあ。
そんなとき、たいていはズルズルと一緒にやってしまうもの
だけど、勇気を出して言えたことは、すごいことだと思う。
これからも、その勇気を忘れないで生きてくれよ」と言いました。
薄い僅か2ページの「学校案内」には、学校の校則として、
"May I Help You?"と、大きく印刷されています。
飯田君は、校訓に照らしても立派な「合格」です。その場で
仮の合格を決めて帰ってきたのです。お母さんも本人も、合格を
とても喜んでくれました。飯田君は、本校に第一番目の合格者と
いうことになります。(彼には入学の時、生徒代表として誓いの
言葉も読んでもらいました)。
第一番目の生徒が決まったとという喜びは、飯田君より私のほうが
大きかったかもしれません。しかし、喜びとともに、大きな責任を
感じました。この一人の少年の人生に私がかかわっているという
責任感は、今までの仕事になかった重い責任感でした。