中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(97)

(97)
中学校の校長会で
 
中学の校長会当日、わずか二ページのペラペラの「学校案内」と、
私の趣旨説明文を用意して会場に向かいました。十五分間をいかに
有効に使うか、それは緊張の瞬間でもありました。その時点で、
たとえどんなに上手に説明したとしても、生徒募集にすぐ効果が
あるというわけではなかったのですが、校長会という初めての公式
な場に、自分が作ろうとする学校の姿をさらけ出し、どこまで理解
を得ることができるかと必死でした。
校長会には、神戸の中学校の校長六十数名が集まっておられました。
一人の校長とお話する機会すらほとんどないのに、六十数名の校長
先生を前にして、学校の設立趣旨を説明し、これから作ろうとする
学校の必要性を訴えました。
この場もそうでしたが、中学校の先生とお話するときにとても気を
使うことがあります。中学校の立場としては、生徒の選別は仕方の
ないことですし、特に神戸市の高校のように完全な輪切り選別の場
合は、各学区ごとに上位公立校から下位公立校まで六、七ランクに
輪切りせざるをえないわけです。
しかし、私は、その選別にもれた生徒の立場にたってこの学校を作
るのですから、当然その選別を批判したり、あるいはその選別の方
法が本当に妥当なのだろうかと疑念をはさむ発言になってしまいます。
多くの生徒を預かっている中学校としては、それなりに全力を尽く
してやっておられることなのですが、一部の教師の中には、間違った
進路指導をしたり、教師の力量がないばかりにやんちゃな生徒を
「問題児」として処理している場合だってあるのです。特に、教師
の力量不足によって生徒にダメージを与えた場合は、生徒がよく
ない方向へ進む進むことに追いうちをかけかねません。「落ちこ
ぼれ」と教師が表現するのに対し、「落ちこぼされ」と私が言う
だけで、中学校の先生を敵に回しかねないいわけです。
私はもちろんそんなことを言っているのではなく、高校へ行けない6
%側に入って、行き場をなくしている「迷える羊」を救うためには
どうすればいいのか、彼らがどれほど心に傷を持っていて、在宅の
まま、毎日をどれほど悶々と暮らしているか、それは非行に向かわ
せていることと同じではないか、彼らを救済しなくては、一年間に
十数万人の生徒を非行に走らせることになるのではないかというこ
とを訴え、私は彼らのために敢えて学校を作ります、どうかご協力
くださいと、お願いしたわけです。
最も質問の多かったのは、このレベルの生徒たちの学校を作って
本当に混乱が起きないのだろうかということでした。高校進学に
失敗した6%の側の生徒ばかりの学校が、本当にやっていけるの
かという危惧を、多くの校長先生が持っておられました。
初めての訪問者私が、こうして設立趣旨の説明のため外に出ること
が多かったので、誰かが学校の電話番をしていなければなりません。
学校といっても、まだ何の形のできていなくて、広い倉庫の中に
電話が一台と椅子が一つあるだけ。おまけに電話は、床に置いた
ありました。「学校案内」を中学校に送った以上、問い合わせが
あるということを考えておかなければならないのです。
私に学校作りを勧めたF 氏は、その頃には、彼の考えていた方法
では学校作りが難しいいうことと、「教育」の仕事は自分には向
かないという理由で、まったくタッチしなくなってしまっていま
した。しかし、正式に学校が発足してから、「ヒョウタンからコマ」
であっても、君が勧めてくれたからできたんだと、彼に学校の役員
になってくれるように頼みました。
しかし、彼は、「中原さんの情熱があってできた学校だ、私のよう
に金儲けを考えていたらできていなかったと思う。
それにしても、私が考えていた以上に中原さんに向いている仕事
だと思うよ、しっかりやって下さい」と言うだけで、役員には入
ろうとしませんでした。
そのF 氏に、私は、「誰か電話番をやってくれる人はいないだろ
うか」と相談しました。
彼の奥さんの友人の鎌田さんが来てくれることになりました。
小柄でとても美人の彼女は、そのうえに素晴らしい美声の持ち
主でした。「これ以上はない」と思える人でした。そして、倉庫の
ようなところで朝から晩まで、たった一人で電話番をして下さっ
たのです。
この鎌田さんが来て下さっていなかったら、どれだけ困っていた
ことでしょう。鎌田さんは、弁当もそこで食べ、一日中電話に
張りついていて下さったのです。
ある日の午後、二人の少年がこの五階の倉庫を訪ねてきました。
小学校、中学校と大きな校舎のあるのが「学校」だと思っていた
少年が、雑居ビルの五階だけの、教室もなにもない所へ来て、どの
ように感じて帰っていったのでしょう。実は、この二人の少年は、
初めての訪問者だったのです。そうです、それまで電話もかかって
こなかったのです。
私は、彼女から報告を受け、翌日、その二人の少年の家を訪ねる
ことにしました。
ひょっとすると、この学校に初めて入学してくれる生徒になるかも
しれない。どんな子だろう。具体的にどのような生徒が私の学校を
必要としているのかをまだ知らない私は、恋人に会いに行くような
気持ちで生徒の住む西宮市へ出向きました。