中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(73)

 (69)を書いてから約1年間逆戻りになってしまったが、今回
から(69)の続きに戻ろう。なにしろオイルショックからの一年
間は、波乱の多い私の人生の中でも珍しい経験をした。従業員の家
庭での心中事件と、心中に追い込んだ暴力団組長との対決。心中事
件での債権者との交渉。そしてわたしが不渡り手形をもらい連鎖し
ての不渡り発行と債務処理。まさに「生きるか死ぬか」の問題だった。
 これら一連の騒動のあと、当然のことながら経営が行き詰まり、
デザインルームを閉鎖しなければならないところまで追い詰められ
ていた。ここで、終わってしまっては、これまでの苦労が水の泡に
なる。とにかく精いっぱい頑張るしかなかった。
 そんな時に、すでに書いたように、神戸市の「ファッション大学」
が始まり、卒業の時がきて「KFS」を結成した・・・と言うところ
まで(69)に書いた。
 オイルショックにおける心中事件後、約1年後にKFSの会長に
なっていた。会長就任後3カ月で体調に異変が起きた。
 二十歳の時に盲腸の手術をしたことはすでに書いた。その病院で、
子供のころから右耳から膿が出続けていることを告げて耳鼻科に診
てもらったところ、膿の匂いを嗅いだだけでドクターは「これは真
珠腫です。今は直す方法がありませんが、いずれ治療ができる時代が
来るでしょう。もし、強烈な目眩が起こったら直ぐに病院に駆けつけ
て下さい。その時は命にかかわる重大な症状なのですから」と、しっ
かり説明を受けていた。
 そう言ういきさつがあるので、どこに暮らしいても、信頼できる耳
鼻科を探しておいたものだった。
 三宮のセンター街を歩いていた時だった。一瞬ぐらぐらっと揺れた。
地震だと思った。歩けないほど強烈な揺れだったので、しゃがみこん
だ・・が、みんなは普通に歩いている。
地震ではなく、自分自身だったと判った時、20年前のドクターの言
葉を思い出した。
 直ぐタクシーに乗り、花隈にある「細見耳鼻咽喉科」に向かった。
この医院はかなり遠方からの患者も多く、控室はごった返すほど患者
であふれていた。受付の方に事情を話すと、他の患者を後回しにして
直ぐに診て下さった。「直ぐに死ぬことはなさそうだから、3日後に
入院手術しよう」と告げられた。
 真珠腫とは,鼓膜の裏側にある音を伝える耳小骨を破壊して聴力障
害を起こしたり、三半規管を破壊してめまいを起こし、また顔の筋肉
を動かす顔面神経は中耳と内耳の間の骨の中を通っていて、これが真
珠腫で破壊されると顔がゆがんでしまう顔面神経麻痺もある。さらに
脳の方向へ進むと髄膜炎を起こす重篤な合併症を起こすことがあると
いう厄介なものだが、現在では難しい手術ではなくなっている。
 私の二十歳のころには出来なかった手術だった。41歳の時もまだ
どこいでも出来る手術ではなかった。細見さんの2代目ドクターが私
の手術をして下さった。顕微鏡をのぞきながらの手術で5時間かかっ
たようだった。一度の手術で完治が難しいと言われていたようだが、
私の場合は見事に治癒したので細見さんには感謝している。その後も
先生には私的にもお付き合いをいただき楽しい思いをさせていただいた。
 簡単に聞こえるようだが、場所が場所だけに、大きな後遺症が心配
された手術だった。