中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

反原発デモは、なぜ少ないのだろう

 今回の福島原発事故は、日本が核の被曝国から加害国になった重大な
事故だった。
 それなのに「反原発デモ」が盛り上がらないのはなぜだろうか。アジア各国
でも大衆が立ちあがってデモが行われている。
 今、世界中で最も原発が危険な国は日本なのに、どうして立ちあがろうと
しないのだろうか。
 私は高齢でいろんな病持ちだから、思うように動けないが、もう少し元気なら
デモを計画して実行しただろうと思うと歯がゆい気持ちになってくる。
 何事にも利己的な国民だから、日本全体のために立ちあがるなどという
ことには消極的なのだろうか。
 因みに欧米諸国は個人主義だと言われる。本当にその通りで、個人主義
徹底しているのだ。しかし、個人主義というのは、自分の権利を侵されたく
ないと言うことであって、社会のためになることなら積極的に立ち上がる。
 利己的とは、己の損得だけを考えることであって、社会の損得を考えない。
外人とつき合っていて分かることは、自分の損得だけでは行動しないという
ことだ。
 一つの例をあげよう。
 例えば、アメリカ人の家にお世話になることになったとしよう。あなたは、
相手に対してどんな土産を用意するだろうか。お世話になる度合いによって
違ってくるだろうが、相当なものを用意するに違いない。
 反対に、アメリカ人があなたの家に1か月間滞在するために来るとする。
多分、彼らは一枚のチョコレートとか、千円にも満たない土産を持って現れる
はずだ。
  日本人が他人に親切にする場合、自分にとって都合のよい人には、とても
好意的だが、そうでない場合は冷ややかなものである。
 外人が日本に1年間も滞在して帰国した場合に、迷惑を被るのが現地に
住む日本人なのだ。外人たちは、日本人は誰でも自分に甘いと勘違いして、
日本人に要求するようになるからだ。
  寄付行為についても同じことが言える。欧米では、団体などにもどんどん
寄付をするが、日本ではあまりない。
 しかし、XXちゃんが、心臓移植のためにアメリカに渡るのに金がないと
寄付のお願いをすれば一億円以上も集まったりする。こんなことは欧米では
ない。日本人は、XXちゃんと助けた一人と、思いたいから寄付行為をするが、
XX団体には寄付しない。民族性とは面白いものだ。
 子孫のために、未来の日本のために反原発デモをやろうではないか!!
立ちあがれ日本は、立ちあがってくれないので、国民が立ちあがろう。