中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「原発共生派」を考える

原発推進派とか反対派とかは知っていたけど
原発共生」ってどんな意味を持つのだろうか考えてみる。
 
先に、地震津波災害は大怪我の治療に似ているし、原発事故は
がん治療に似ていると書いたことがある。
がんの場合も「共生」と言う言葉を使うので、原発にも使うのかと
驚いたわけだ、
だかしかし、この二つの場合は似て非なるものである。
なぜならば、がんは自分の細胞ががん化するものであり、がん細胞は
自分の身の内にある。がんの再発や転移で、これ以上にがんから逃れ
られないと自覚した時に「共生」と言う言葉が生まれる。がんと向き合って
生きようと言うことなのだ。
 
しかし、原発の場合は、外からやってきたものだ。何のために原発
受け入れたのかを考えると、地域の発展などという言葉に行きつく。
そして、そこには巨額のカネが動いている。村や町の道路整備や
村や町には似つかわしくないほどの巨大な文化施設が建てられる。
原発城下町には雇用も生まれ、商売も繁盛するが、すべて原発
もたらしたものであって、自らが生み出したものではない。
だから、共生派などと言われてもピンとこない。共生派などというのは、
推進派とどんな違いがあるのだろう。
共生派の人たちは、多分原発の本当の怖さを知らなかったのだと思うが、
それを知った現在でも「共生」を唱えるとなれば、それは推進派という
べきだろう。
共生の言葉の中に「金との共生」が含まれているとしたら、原発周囲に
住む人たちには大変な迷惑なことである。