中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

不況の時代をどう生き抜か(3)

不況の時代をどう生き抜か(3)

私がまだ33歳ぐらいの時だった。
その歳になるまでにも幾多の苦難を味わっていた。働くところがなかった。
肝臓を患い、収入が途絶え、その日に食べるものもなくなったので、
新聞紙を4つに切って魚屋さんに売りに行き、そのお金で筋肉と麦を買い、
スジ肉入り麦ご飯を3日間大事に味わったこともある。
私の幼少のころからのことは「教育の原点をもとめて」という本に書いたが、
辛い日々の連続だったものだ。

金もない、経験もなかった私が、金を集めることはできなかったが、ミシンを
あつめ、工場らしきものを借りて改造し、ようやく縫製工場を立ち上げた。
ここではっきり言っておきたい。
金があるから事業ができるというものではない。私には金などまったくと言っていいほど
なかった。縫製工場を作るといってもミシンのことも、ミシンで縫ったこともない。
第一、仕事をどこから得るのかさえ分からないし、きまっていない。

人から見れば「無謀」と言うことになるだろう。
だが、やった。できた。
自分がプロ級にミシンを操作できるようになるまで練習を重ねた。人を探してきて
彼女らに縫製技術を教えた。ミシンを自分で修理できるまで腕を磨いた。
探し回って、下請け仕事をとってきて、製品作りを始めた。
以上3行だけで書けてしまうことだが、それがどれほど過酷なことかは想像をたくましく
していただければ分かってくださるだろう。

まだ海のものか山のものかもわからぬところに人は集まらない。どうして集めるか。
金がないのに、どうして工場を探せるのか。どうやってミシンを手に入れることが
できたのか。それまでやったことのない縫製仕事をどうやって人に教えることが
できるのか。
これを読んだ方々に、自分ならどうするか。自分ならこういう方法でやれると思うなどと
いう考え方が出てくる人もいれば、そんなのできるわけないよ、と思う人もいるだろう。

この二つの考え方を左右するのは、それまでの人生経験だと思う。
順調な人生経験しかなかった人には、とうてい無理かもしれない。また、類いまれな
才能の持ち主なら可能かもしれない。でも私の場合、才能的には(才能と言うのが
学校の成績なら)とても優れているとはいえない。

この続きは、今度書くことにして、最初の33歳の話にもどそう。
その頃、50人の従業員がいた。4か所に工場を持ち、20名、15名、10名、5名と
言う感じだった。4つの工場管理、ミシン修繕、商品管理、工程管理、何よりも女性ばかり
の難しい労務管理。そして、仕事をもらっている親会社との交渉と納入。
時の親しくしていた町長に「誰か人はいないでしょうか」と尋ねた。どんな人がいいのかと
問われて、運転ができて、商品管理と親会社への納入とその時にきっちり挨拶ができるひと。と
こたえると「おまえはアホか。それができたら、お前のところには来ないで、自分で会社を
つくるだろうよ」と。
眼が覚めました。そのとおり。これが、続きの答えにもなって行くので、引き続き読んで
いただきたい。