中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

随筆自伝(89)私を守ってくれたのはだれなのか

              《神戸暁星学園命名した本音》

  神戸市だけではなく、広域の中学校で番長だった生徒と、その取り巻きの生徒。長期欠席などの問題を抱える生徒などが集まるこの学校で、生徒同士のケンカを完全に防ぐことは無理なことだし、ケンカが起こる以上、どんな事故が発生するかもしれない。 喧嘩大好きな生徒たちと、そういう生徒にたちに悩まされていた側の生徒たちを集めている以上、何が起こるか分からない。

 だから、教育関係者たちは、そういう生徒をひとところに集めては教育にならないだろうという。開校当時そういう批判をよく受けていた。

 私の友人だって

 『そりゃ無茶だよ。一つの中学校でも持て余している番長と、その取り巻き連中だろう、何十という学校からそういう連中が集まってくるのだろう? だったらさ、どこかの小さな島に学校を作ってさ、逃げ出したら射殺するぞと脅かさなきゃ、連中をコントロールできないぞ』 というのだった。 その一言で、彼とはその後しばらく無縁となったのだった。

 それから数年後に私の出版記念会に彼を招いた。

 かれは、次のように言ったものだ

 『実はナー。あれからの数年間で俺の人生の歯車が大きく狂って、いまじゃ取り立て屋に追いまくられている有様なんだ。 君と仲良くしていたら、たぶんいろいろと忠告してくれてこんなざまにはならなかっただろうと後悔しているよ。君は凄いよ、立派に君の信念を貫いたからね』 と。

 親友はそう言ってくれたが、開校前、開校直後では親友が心配していたようなことを言う教育関係者が多かったものだ。

 教育関係者だからと言って、落ちこぼされた生徒たちの実情を知っているわけではない。 彼らの苦痛を知っているわけじゃない。 彼らが裁いた結果が(おちこぼれ)を生み出したのだ。 教育者たちが落ちこぼさせた生徒たちの人生に関わった人は少ない。 彼らが人生の可能性を信じて歩めば、素晴らしい人材になることさえ専門家と言われる人々は知らないのです。

 私は、自分に都合の悪いものを排除する中で行われる教育が正しいなどとは決して思わない。人は悪いようにも変わるが、良いほうに変わる人が多いものだと思っている。人の人生って大きな変化が起こりやすい。 その変化は、対人関係によっておこるものだ。 相手といつも対等の立場で付き合う場合と、上下関係で付き合う場合とではお互いに変化に違いがある。

 いつどんな時でも、最終的に「人はだれでもおなじ」 という気持ちがなければだめだろうと、私は考えている。

 公立学校では、テストによってえらばれた教師が就任している。だから教師たちは(選ばれた人)というプライドがある。成績がよかっただけで、人間として優れているわけじゃないのに、選ばれた教師だと自認している。 自分の指導に反抗する生徒を許せないのだ。

  実は、わが子でない子供を四人も育てる中で、中学校のさまざまな実態を知るきっかけとなった。素晴らしい教師は、欠席しそうな生徒を休み時間に生徒の家まで自転車で迎えに行っていた。後にその教師は兵庫県女子駅伝チームの監督として全国優勝を成し遂げたのだった。彼女の中学教師としてのすばらしさを知ったのは救いだった。 正反対の殴る蹴る教師も知っていたが、まさか、生徒たちの言うように殴らないセンコーの数を聞いてくれというようなことが多くの中学校で行われていたとは驚きだった。 

 公教育の問題を当時から深く考えていた。

  私自身の中学校時代は、新制中学が始まった年でもあり、教科書も始末なもので、教師たちも戦後教育に戸惑っていた頃で、学校問題など感じなかったし、当時は問題児もいなかった。

 日本の高度成長と重ねるように「問題児」が多くなっていったのだ。 それは文科省のお役人が現場を知らず、手探りで「指導要綱」を作っていたために戦後の歯車が狂ったように思っている。

 教員組合が強化され、文部省と真っ向から対立したのも、生徒たちのためには不幸だった。

 人を育てていこうという大切な要素が抜け落ち、(教育してやろう)(カリキュラムを押し付けてやろう)という路線が最優先された。それが日本という国を守るために重要なのだと決めつけられた。

 お役人が作った理想のカリキュラムは、新幹線に乗って旅行をするようなカリキュラムだった。

 文科省(当時は文部省)のお役人たちはエリートたちである。エリートというのは5%ほどの人材を言う。そういう人たちは、カリキュラムについていけない生徒たちに目を向けるはずはない。 

 中学校には生徒指導という役割がある。 その多くは体育系の教師が担当している。 それはなにを意味しているか。 力ずくで生徒たちを抑え込みことに主眼が置かれている。 西欧の国ならばカウンセラーが主にその任にあたる。西欧のカウンセラー職になるには多くの関門があって、日本のカウンセラー制度より、うんと厳しいということも知っておくべきだ。

 体育系の教師が生徒指導することが良いのか、経験のあるカウンセラーがその任に当たるのがよいのかは明らかなことだ。

 私は常に「行政が変わらなきゃ」と言い続けていた。落ちこぼされる生徒が出てくるのは行政の責任だとも言ってきた。だから校名を決めるときに「神戸暁星学園」にしたのだった。