中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

日露戦争と安倍政権(追加)

  昨日は、妻を医院へ連れて行く時間が迫ってきて、中途半端な

終りかたをしたので少しばかり書き添えておきたい。

  明治政府はさまざまな素晴らしい結果を残しているにもかかわらず、

日露戦争の記録については、信じられないような「すべて覆い隠す」記録

にしてしまった。だから、昭和初期の軍部のトップたちまで、日露戦争当時

にどういう失敗が起こり、それをどう解決したのかも知らなかった。

だから、昭和における戦争で、常識では考えられないような「もの(兵器類」

をつくり、常識では考えられないような作戦を行った。 それらの結果を

招くことになったのは、日露戦争そのものではなく、記録を正確に残さな

かったことに由来する。 失敗は成功の元といわれる。さまざまな発明も

失敗の上に成り立っていることが多い。 日露戦争は、戦争後に軍部や政府

の大幹部たちが、こぞって庇い合った結果、そして褒章を出しまくり、失敗

を「煙に巻いてしまった」のだった。

 今、安倍政権がやっていることは、これと全く同じことだ。菅官房長官

至っては「何が疑惑なのかもわからん」と言い始めた。これで菅氏も次期総理

の目はなくなったかも思える。今日の毎日新聞「余録」に素晴らしい記事が

書かれているので、無断でだが・・掲載しておきます。一読に値する名文です。

『▲「ばか」はサンスクリット語に由来するというが、「馬鹿」の字があて

られたのは「史記」にある中国の故事からという。秦の2代皇帝、胡亥

(こがい)に丞(じょう)相(しょう)の趙(ちょう)高(こう)が

「これは馬です」と言って鹿を献じた例の話である

▲胡亥は「これは鹿ではないか」と左右の群臣に問うたが、多くは趙高に

おもねって「馬です」という。奸臣(かんしん)の趙高の狙いは群臣の

自分への忠誠度を試すことで、この時に「鹿です」と言った者は後に

彼によって粛清されることになった

▲指鹿為馬(しろくいば)(鹿を指して馬となす)という次第だが、

趙高の陰謀によって帝位についた胡亥もばかにされたものである。だが

「公文書のバックアップデータは公文書にあらず」と官房長官に言われた

国民もかなりばかにされていないか

▲首相の「桜を見る会」の招待者名簿を廃棄したと政府が答弁した5月、

実はバックアップデータがあったというのだ。国会が提出を求めた文書に

こんな強弁を用いられては、公文書による行政の公正の担保(たんぽ)も

何もあったものではない

▲そもそも功労者を遇する会の招待者名簿を、秘匿(ひとく)すべき個人

情報だというのが「指鹿為馬」でないか。首相の公私混同や怪しい招待者

が注目される桜を見る会だが、真相をたどると公文書管理の問題に行き着く

おなじみのパターンだ

▲秦と異なり、居並ぶ役人からも、丞相を出した朋党(ほうとう)からも

「これは鹿だ」の声が上がらぬ令和日本である。公文書で真実を検証でき

ない世を放置していては、次世代から「馬鹿」のそしりを受けかねない。 』