中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

寝たきり体験記1

寝たきりになって今日で10日目。 何よりも辛いのが起きている時間が3分ぐらいしかできないことです。 だから座る時間も3分だから食べられないのが悔しいです。食欲だけが私の自慢のようなものだったから情けないですね。

今は LINE で送られてくるメールがとても楽しみです。もしスマホがなかったら孤独な状態になっていたことでしょう。

朝10時頃に目覚めると孫娘が持ってきてくれたカロリーメイトを食べるようにしています。 これで元気をもらって,

やっとリビングに移動して介護ベッドに横たわります 。この入力もベッドに仰向けに寝て音声入力で書いています。 しかし滑舌が悪いので音声入力を誤変換が多いです。

やっぱり第4波が来た

以前からなんでも書いてきたけれど変異種のウイルスで第4波が来るだろうという予想は的中しました。日本でもあったかくなるにつれて若者たちはどんどん外に出るだろうから,これから患者数が増えると思います。 フランスではまたも外出制限が行われます。 それも若者たちの気の緩みだと言われています 。

私の若い頃は遊び回る時間はほとんどなく,生きるために働き続けていましたが,今の時代はなんだかんだと言ってもとても楽な意外ですね。 この新型コロナはこのままでは第5もあるでしょう。

人類とウィルスの戦いはまだまだ続くでしょうねう。

(うそ、まさか)4

寝たきりになって今日で丸9日になります。 色々と皆さんに伝えたいことがあるのですが,何しろ体が不自由で思うように入力できません。 現在の介護医療についても考えることがたくさんあります。介護医療には問題が多すぎるように思います まる認知症の人たちは優遇されていますが,そうでない場合は寝たきりになっても,どんなに痛くても,食べられなくってもあまり面倒を見てもらえないようなのです。 色々と皆さんが努力してくださってもう少しでやや改善するかなとは思っています。 今回こうゆう体になって私の周辺には優しい人が多いということを実感しました まるそういう意味で私は恵まれているのかなと思います。 せめて15分か30分ほど座れるといいんだけれども,それが出来ないのが残念です。 私の娘たちもそれぞれにそれぞれの立場からよく応援してくれます。 みんなの優しさに助けられていますう。 でも生きるってとても難しいことですよね。そして死ぬということもそれ以上に難しいことですよね。 今までもよく考えてきた問題ですが自分がその立場になってより以上に実感しています。 これが人生というものか…と思っています。 こういう立場になって自分がどういう人たちに囲まれているのかなということを再確認できたことがとてもラッキーです。 今日はここまでにしときますね。

「うそ。ほんまの人生経験(3)

前回に記事を書いたのは3月22日でしたまるその翌日の3月23日に突然,動けなくなりました。 これこそ私の人生の中で最も大きな,ウソ、ほんまの感じです。

3月18日の記事の中に私の病気のことを詳しく書きましたが,まさか今のようなことになるとは予想もしていませんでした。 3月23日に突然,座るのも3分ぐらい,歩くのもトイレまでの10 m ぐらいという感じになってしまいました。

あまりに突然のことでどうすることもできませんでした。 スマホを持てるようになったのは3日後でした。 それでもスマホからブログを書けたらいいなと思って孫に頼み設定をしてもらってようやく今日入力しています。

多くの方が心配してくださって,どうしたのと尋ねられます。 今日こうした

形でブログを書けることを幸せに思っています。 しかしブログを書くためには

左左手でスマホをもつのでとても疲れます。 でもやっとかけています。 とにかく現状報告のつもりで書いています。 今後書き続けられるかどうかも分かりませんが,とにかく頑張って書いていきたいと思います。どうかご支援ください。

「うそ!まさか!」の人生経験 《2》

「うそ!まさか!」の人生経験 《2》

このシリーズでは時系列的に私の人生を語ろうとは

考えていません。 思いつくままに、気ままに思いも

つかなかった人生ドラマになった人との出会いなどにも

触れてみたいと思っています。あのとき、あの場所で

あの人と会ったことが今の自分に繋がっているという

ような「出会い」はだれにでもあるだろうと思います。

しかし出会いというものは、最初から良い出会いか

どうかなどわかるはずもありません。結果としてそう思う

だけなのかもしれません。

ここまで書いて‥結果的には時系列な話になってしまいますが、

やはり16歳~18歳に出会った方が私に与えた影響の大きさに

気付かされています。それなのに当時はその出会いの大きさには

きづいていなかったのです。この2年間の「出会い」に4人が

います。詳しい内容まで書くスペースはありませんが、一人は

約1年間住み込みで働いていた日本ケースの角田社長。本を読め、

クラシックを聴けなどと言われ続けられましたが、何よりも・・

家族と同じ食卓で家族同様の食事を与えられたことです。15歳

から18歳まで、そういう扱いをしてくださったのは角田さんだけ

でした。村上さんのところにも1年間お世話になりましたが、

とても厳しい方できちっとした大阪弁を叩き込まれました。いまの

大阪弁は漫才の影響で品が悪くなっていますね。行儀見習いという点

では大きな影響を受けた方でした。 このころ、青年会があり、

村上社長から参加するようにと言われて参加しましたが、その帰り道、

参加していた女性から「あなた暗い顔をしてるわよ。もっと笑顔で

生きたいいのに」と一言いわれました。顔も名前も知らない方でしたが、

その言葉だけが忘れられません。その日以降、その言葉をしっかり

受け止めて生きてきました。 スペースが尽きました。もう一人の

ことは次回に書きます。

「うそ!まさか!」の人生経験 《1》

 人生って計画したとおりに進んでいる人もいれば、

計画なんて最初からもっていなかった人もいるのでしょう。

私の年代の人たちの子供時代には<市電の運転手さん>が

夢のような存在でしたが、それを夢見て自分の職業にした

人はほんのわずかでしょうか。夢を人生計画に取りいれた

人もいるでしょうし、夢は夢で終わった人のほうが多かった

かもしれません。

人生は旅ともいわれますが、まさしくその通りかもしれません。

思わぬところに迷い込んでしまうこともあれば、それが幸いして

宝を見つけることもあるでしよう。

86歳と5か月をすぎた私にもいろんな(まさか!)ということが

ありました。テレビ局からワイドショーの司会をやってみませんかと

誘いを受けた時は文字通りの(まさか)でした。当時はまだ録画時代

ではなく、すべては本番だけのじだいであり、何の経験もなく、低血圧で

喋るのが苦手の私でしたから・・まさか司会をなどと言われるとは

青天の霹靂でもありました。わずか一年半の経験とはいえ、舞い上がる

ような気分を味わったものでした。その後の落差も大きく、その落差が

なかったら、私は沈み込んだままで終わったかもしれません。

いまから思い出せば不思議な「旅」でした。落差から浮かび上がった

ときに「高校」を創立していました。あの時・・・だれが私を司会者へと

指名?したのかは、いまだにわからないのですが、私の人生に大きな

何かを投げつけた人だったということを感じてしまします。私を買って

くれていた人? わたしを試してみたかった人? いずれにせよ、これが

私の人生に大きくかかわっていると思えるから妙なものです。

 

 

米・中の外交トップ会談・カメラ陣の前で異例の批判の応酬を

米中の外交トップ会談がアメリカで行われている。

しかし、冒頭のあいさつの部分だけがカメラの前で

行われると思われていたのに、非難の応酬がヒート

アップし、退場しようとしていたカメラ陣をアメリカ側が

呼び止めて中国批判を繰り返し、そのあと退場しようと

していたカメラ陣を、今度は中国側が呼び戻して非難発言

を続けるなど、見苦しいほどカメラの前での応酬があった。

両国とも主導権を取ろうとしている様子が露骨すぎていた。

中国寄りになるのではと案じられたバイデン政権が、それを

払拭するかのような姿勢を見せたというべきだろうか。

今後の米中関係がどうなるのか、注目される。