小学校から高校まで文科省の指導の下で作られたカリキュラムに沿って授業が
行われる。 このカリキュラムの目的は、全学年ごとに3%の超エリートを作り出す
ことを視野に入れているらしい。 言い換えれば、3%の超エリートさえいれば、国家が
成り立つだろうという目論見である。 あとの93%の人たちは、それぞれに振り分けられる。
もちろん93%に会わされた人の中から「逸材」が出ることもあるだろうし、エリート校出身
でも浮かばれない人だっている。
さて・・「東大村」と呼ばれた一群が存在したことをご存じでしょう。 あの、世界最悪、最大の
と呼んでいた。
今後も数百年以上にわたって損害を与え続けることをしたに過ぎない。超A級戦犯のような
人たちなのだ。 あの時、超エリート連中が何の役にも立たなかったことをいつまでも忘れ
てはならない。 官僚たちは「偉い人たち」ではなく、良い点数を取り続けてきた人たちであって、
社会の役に立つ人材とは言えないように思える。
「トイレのないマンション」に例えられる原発は、どうしてトイレを作らずにスタートしたのか?
それを考えてみたい。
経っていない。 汚染水タンクは増え続け、来年にはタンクを置く場所さえなくなってしまう。
いまもなお、5分以上は現場に立ち入れないほどの放射線を出し続けている。
プールに残っている燃料は今も3号機だけで566本も残ったままだ。
デブリの取り出し作業など、いつ開始できるかさえも分からない。
どうしてトイレを作マンションを作ってしまったのか?? 答えはたった一つなのです。
当然のこととして、「核の灰」が量産されることがすでに分かっており、核の灰は厄介なもの
だということも分かっていたのです。
ところがどっこい!! 当時の政府も、財界も、研究者たちも「科学の進歩によって問題は
解決できる」として、トイレを作らないでマンション建設を始めた・・と言うわけです。
こういう事例は原発だけでなくあまりにも多いのです。 将来、科学が進歩するから、問題
解決してくれるだろう・・・と、言う発想のもとに「見切り発車」されるいる事例を思い出して
下さい。
3%のエリートたちが役に立つ人たちとは限りません。 34年前、文科省は6~7%との
中学卒業者に高校入学を許さなかったのです。私は、彼らに高校進学の道を与えるべく
高校を作りました。 もちろん彼らはエリートになれませんでしたが、現在社会の第一線で
活躍してます。 エリートに頼りすぎると、社会が根本的に間違った道を歩むということも
あるのです。 才能は、誰にもある。それを活かしきれかどうかだけです。