朝ドラの「まんぷく」を楽しんでいる。
私もいっときだが発明に凝った時期があった。
商品になったものは一つだけで「ズボンプレス」だけだ。
それまでズボンの筋を寝敷きしてつけていたのを「ズボンプレス」
に一晩挟んでおくだけで筋がつく・・・という商品だった。
「中谷木工所」というところで作ってもらったことを思いだす。
なかなか売れなかったのだが・・現在は太陽光発電などにも
商域を広げている広狩氏がまだ高校生であった頃に、高校の
教師たちなどに売り込んでくれたことも思い出す。
他にも沢山発明品を考えた。特許申請などもしたが、一歩遅
かった・・というのが多かった。 特許とか実用新案などは、1時間
違いでもだめなのだ。 世の中には多くの発明家がいて競い合って
いるのだった。
そんなこともあって・・「まんぷく」の主人公は凄いとおもう、そして、
なによりもそれを支えている奥さんが凄いと思う。 こういうものは
奥さんの支えがないと継続できないのだから。
即席ラーメンを私が始めて食べたのは昭和34年だったと記憶して
いる。それも正規品ではなく、元町の南京町で売られていたB品だった。
最初の頃は製造時に麺が折れることが多かったのだろうか、折れ麺
の即席ラーメンが2キロ程度入ったものが南京町でこっそり売られて
いた。 あちこちで売られていたのではなく、現在もある中華料理「民生」
(とても有名なお店だ)の向かいに八百屋さんがあって、そこで売られて
いた。そんな裏話を知っている人は今では少ないだろう。
やがてカップラーメンが発売されて世界的なヒット商品に育っていく
のだけれど・・誰もができることではない。百福さんも奥さんも凄い人
だったのだと・・つくづく思う。 「まんぷく」のこれからに注目したい。