日本に住んでいると気付かないことがいろいろあるが、「メード・イン・ジャパン」もその
一つだと思う。
外国に住んでいると、メード・イン・ジャパンの信頼性が高いことに気づかざるを得ない。
日本のメーカーの信頼性ではなく、メード・イン・ジャパンの信頼性なのである。
三菱だって、パナソニックだって、メード・イン・ジャパンでない製品が多いのだが、普段は
気付いていない。
外国で日本の家電メーカーの製品を買う場合には、メード・イン・ジャパンかどうかを
必ず確認するものだ。
日本の家電メーカーであってもアジアのいろんな国で作られているものと、日本国内で
作られたものでは信頼性が違う。それは私が日本人だからと言うわけではなく、外人たちも
メード・イン・ジャパンと、他国で作られた日本家電との違いをよく知っている。
戦後しばらくは、メードインジャパンは「安かろう、悪るかろう」製品の代表的なものだと外国で
言われていたものだった。それは、とても屈辱的な言葉だったのだ。
そのような屈辱的な言葉を浴びせられ続けられた日本製がやがて敬意をもってメード・イン・
ジャパンと言われるようになるまでに、日本人はどれほど苦労したことか。
私たちの世代の日本人は、血のにじむような努力を重ねてメード・イン・ジャパンの
信頼性を高めてきたのだった。
神戸製鋼、日産、スバルなどの問題がクローズアップされているが、私が思うには、おそらく
もっと多くの会社で同じようなことが起こっているのではないかということだ。
経営陣の「ゆるみ」が一因だろうが、なによりも携わっている仕事に対する熱い思いが現場の
人間たちの中に少なくなくなってきているのではないだろうか?
メード・イン・ジャパンを誇りにして、決して信頼性に傷をつけまいとする心意気が今の人たちに
なくなっているのではないかと・・おもう。
時代が変わってきたのだから、経営者側は大掛かりなシステムの見直しをするべきでは
ないだろうか。 糸川博士の言葉に「システムとは、不可能を可能にすること」というのがある。
もう一度、メード・イン・ジャパンの信頼性向上に国民挙げての努力がないと、あと十年で
中国に技術でも負けてしまうことになってしまうのではと心配する。