中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

連載エッセイ「風景の違いに大きな意味がある」(2)

 (2)
 風景というものは、美しい時のことは覚えているけれど、無感動だった風景というものは全く記憶にないものだ。 どうしてだろうかと思う。
 どんな風景だって、それなりに記憶の片隅にあってもよいのに、まったく思い出せない風景もあるのです。特に旅をしていた時の風景というものは、よほどの感動を憶えるか、さもなくばトラブルに巻き込まれたときのほうが記憶に鮮明に残るらしい。もちろんこれは私の勝手な思い込みであって、すべて覚えているよという方もあるに違いない。
 そんなことを考えていたら、認知症になり始めていることを自覚し始めた方々は、どんどん記憶が薄くなっていく「思い出」に対してしがみつくような思いがあるのではないのだろうか・・などと想像してしまった。
 高齢になって、固有名詞がだんだんと消えていく。ほらほら・・あの人・・と言いながらも、その人の名が思い出せないということが頻繁になってくるものだが、それでも今は便利な世の中になっていて、検索すれば思い出せることもある。固有名詞は忘れているのに、その人が何をやっていた人かということは思い出せるからなのだ。
 しかし、思いでというものは検索のしようがないだろうと思うし、検索ができるぐらいなら認知症にはなっていないともいえる。認知症の3分の2はアルツハイマーだといわれている。その中でも若年アルツハイマーは本人もつらいだろうがその人の家族がより以上に辛いだろうと思う。
 アルツハイマーの発症にはある物質が脳内に溜まりはじめて20年後ほどして発症するらしい。 言い換えればその20年間に、有効な薬で発症を防げるかもしれないところまで研究は進んでいる。 しかし、その研究費がアメリカの研究費の100分の1もないと知ればがっかりする。 日本とはそういう国なのだ・・ということも、ぜひ知っておいてもらいたい。何が必要で、どういうことに金を使うのがよいのかという意味では、日本はちょっと先進諸外国とは違うように感じている。 豪州にいたときに思ったことは、豪州では税金の使い道についてとてもわかりやすいということだった。
 日本は税金の使い道がとても分かりにくい国ではないだろうか?
話はどんどん違った方向に進んで行っているけれど、これも「風景」の一つだと思ってお許しいただきたい。
 今日という一日、みなさんはどんな風景をご覧になったのだろうか?と思いながら書いています。私は孫の高校生生活の最後のシーズンとなった夏の選手権大会兵庫県予選で戦った孫の4試合の成績をまとめていました。18打席8安打(4割4分4厘)4打点でした。 日記にそれらの記録を書き込みながら、この日記など私の死後は、おそらく誰も見ないだろうな思いながら。