中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

寂しくなっていたお祭り

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 昨日は、昔懐かしいお祭りを見て、2軒のお墓参りをして
 から、娘たちがやっている、カフェレストラン 海 へ
 行ってたっぷりのおしゃべりタイム・・と、我が家を出てから
 帰宅まで11時間を超えるハードスケジュールとなった。
 90歳になる叔母とその娘を元町でピックアップして淡路へ向かう。
 神戸市内と島内は勝手知ったる私が運転するが、遠距離運転は
 疲れるので、教え子に姫路からきてもらい、高速道路は彼に運転を
 してもらうということにした。
 彼が我が家まで乗ってきた車を見て、まず・・たまげた!!
 こんな車を見たこともない。
 この話は別に書こう・・。
 淡路行きは私の車で行く。叔母と従妹、妻と教え子の内藤君と
 私の5人である。
  その昔・・今の淡路市志筑は、津名郡志筑(シヅキ)町と呼ばれて
 いた。島内では、洲本市、福良町に次いで3番目の人口だった。
 商工業もなかなか盛んで、大きな醤油工場も2カ所あったし、なんでも
 揃う町で、近在の村々から志筑町に買い出しに集まっていた。
 町には大きな神社が二つある。
 一つは私が住んでいたところの「天神さん」今では「志筑神社」と
 なっていた。
 毎年の10月1日が祭りと決まっていて、その日は、京阪神などに
 働きに行っている人たちなども「里帰り」して、お祭りはにぎやかだった。
 ダンジリが15台ほど集まり太鼓の音がにぎやかで、多くの子供たち
 など家族ぐるみでの参加だった。
 参道には香具師の店は軒を並べ、いろんなものを売っていた。
  最近は、10月の第1日曜日と変更されていると聞いて、ちょうど
 墓参りのついでに立ち寄ろうと行ってみて、驚いた。
 だんじりは1台だけ、寂しそうにおいてあった。だんじりの中に入って
 (子供が4人座れる)どんどこドンドコ叩くのが楽しかったのに・・
 いまでは静かにおいてあるだけだった。
 昔は、この境内で野球をして楽しんでいたのだが・・。
 懐かしいのは大きな楠の木だけだった。時代はどんどん過ぎ去ってゆく。
 何もかもが失われていく。
 このような時代に、守り続けられている地域の人たちのご苦労にも
 思いを馳せる。