今発売中の文藝春秋・8月の巻頭にある「日本再生 63」の立花さんの
記事を読んで様々なことを思い出した。
かなり奥行ある文章なので、詳しい内容は、ぜひ、じっくり文藝春秋でお読みください。
その中には「都知事」に関する記事もある。
戦後の上野山の「葵部落」についての記述がある。そうだったの??と思う内容だ。
「葵部落」を読んで、私は戦後の大阪のある風景を思い出した。
3月10日が東京大空襲で10万人以上が亡くなった。東京は焼け野原になった。
3月13日には大阪で大空襲j集があり、大阪が焼け野原となった。
その夜、私は焼夷弾が降ってくる場所にいた。空は、どんな花火大会も及ばない
ほど、真っ赤に燃えていた。
られたが、B29の高度まで弾丸が届かないようだった。
私は、真田山の近くだったので、高射砲の激しい発射音を何時間も聞かされて怯えていた。
戦後しばらくたってから、現在は「大阪城公園駅」となっている場所に行ったことがある。
そこは、まさに「葵部落」だった。
軍需工場跡だったその地域には「アパッチ族」と言われる人たちが住んでいた。
すさまじい光景だった。
現在は美しい街となっていて、そんなことを思い出せる年代の人たちも消えつつある。
生き証人として、もう少し生きていようと思っている。