(1)の続き・・。
そんなことは62年前にも経験した。もちろん62年前だから、
淡路島についての認識がその程度だったとはおもうが・・。
東京の神学校(牧師養成校)に入学したとき、自己紹介を
したときのこと、「淡路島って野球ができるの?ボールが海まで
飛んでいくの?」と質問されたことがある。真面目な質問だった。
私が「高校が6つもある島ですよ」と答えるとみんなが驚いていた。
今だって、淡路島に高校がそんなにあるって思っていない方の
方が多いかもしれない。
人口は戦後の一番多い時で20万人ほどだったと思っている。
「おのころ島」という言葉を知っている人はどれぐらいなのだろう??
日本神話を興味深く読んだ人はどれくらいいるのだろう??
の二人が泥をこね、ぽとりと海中に落としてできたのが「おのころ島」で
あり、おのころ島が淡路島だと書かれている。
島内で最も大きな神社は伊弉諾神社であり。戦争が終わるまでは、
最高ランクの官幣大社(かんぺいたいしゃ)だった。
この伊弉諾神社では大きなお祭りがあって、毎年にぎわっている。
「古事記」の冒頭で国生みの島と書かれている淡路島を、これまでの
認識と違った目線で見つめ直していただけるよい機会になればと願って
いる。
(続く・・・)