中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

韓国映画、ドラマにみる韓国人の弱点(2)

 韓国ドラマを見ていて、いつも思うことがある。
 時代物ドラマでは、必ず両班(やんばん)と奴婢(ぬひ)が出てくる。
 両班とは、朝鮮のごく少数の支配階級である。どこの国でも差別制度
 があった。差別する方が民を支配しやすいからである。
 今でもインドのカースト制度などはよく知られている。
 朝鮮半島は3国に分かれていたが統一されて王国が誕生し、差別
 支配がはじまった。
 両班は数にするとごく少数であるのに、民から収奪して生きているという
 とても嫌いな輩だと私は思っている。
 20年ほど前に、JA・NEWS新聞に両班のことを詳しく書いたことがあるが、
 差別支配の中でも両班の場合は極悪のように私は考えている。
 ところが、韓国ドラマの3国統一後の時代物に両班は必ず登場し、醜い
 支配をするさまが描かれている。
 奴婢は奴隷同様に人間扱いされないで収奪されるばかりだ。
 どうして・・飽きもしないでこういうドラマを作れるのか。見る人がいるから
 だろう・・。こういうドラマを日々見ている韓国人のうち、先祖が両班だった
 という人は1割もいないだろうに・・なぜ許せるのか??
  日本でも差別制度があった。士・農・工・商・エタ・非人というのがそれで
 ある。非人というのは犯罪人のことだが、刑期を終えると原則的に元の
 ところに戻れるような制度だった。
 しかし、日本で、韓国ドラマのようにこの差別制度にのっとったドラマを
 作ったとすると、たちまち大問題となり、上映すらできないだろうと思う。
  韓国ドラマの現代版はどうか。現代版の場合は、多くの場合「財閥」が
 登場する。面白い病理だとおもう。両班や財閥へのあこがれがあるの
 だろうか? 自分の先祖たちを苛め抜いた両班や、利益を収奪している
 財閥に憧れている??のか。
 そういう病理を持っているから、映画「鬼郷」も観に行くのかもしれない。
 同じような顔をしていて、同じような文法を持っている韓国人なのだが、
 「恨み千年」という民謡があるように根が深いのかもしれない。
 でも、恨みがあるのなら、両班に憧れるようなドラマを作らなければ
 よいものを。こういう点が私には理解できない。
  いまだにかつての宗主国・中国に遠慮し、顔色をみながらの国政で
 あり、国民性のようなのだ。
 日本が朝鮮を侵略し植民地にしたことは非難されるべきことだが、
 そのことによって両班を駆逐した事実もある。民主化への道筋に貢献?
 したかもしれないが、戦後70年たっても「日本憎し」で、国を挙げての
 「鬼郷」万歳万歳では、何かが違うだろうと思う。
 韓国人自らが、韓国ドラマ嫌いになるようでないと、いつまでたっても
 「後ろ向き」「自虐的」な国だと思われるだろう…と私は思う。