韓国と慰安婦問題の妥結に向けた協議が行われている。
慰安婦問題に決着がみられれば日韓関係も改善されていくと思われる。
だが、この問題では、日本政府の立場は慰安婦問題について、1965年の
日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」として、新たな賠償や
法的責任の認定には応じない立場を堅持する一方で、何らかの妥協案を
模索しているのだろう。
戦後70年も経っているのに、どうしてこのような問題がいつまでも続くのか。
30歳台40歳代の男性と話してみて感じたことは、この問題に全くといって
よいほど関心がないということだった。
戦争が終わったのは70年前だが、慰安婦問題が起こっていたのはそれより
も前なのだ。
日本にも遊郭と言うものがあった。落語にもよく登場するが、東京の吉原や
遊女(売春婦)が3千人から4千人もいたという。
私が20歳で働いていた場所が、この松島にごく近い場所だったので、仕事が
終わって仲間たちと銭湯に行くときには松島の中を通って行っていたので事情は
よく知っている。当時わたしは熱心なクリスチャンであったので遊女を買うことも
なかった。全国各地のいたるところに遊郭が存在していた。
遊郭は別の言い方をすれば、「男のはけ口」でもあったのだ。
(当時は赤線と言われていた。地図の上で赤線で囲われた地域だったからである)
がはいしされた。
それでも、赤線が廃止された後に「トルコ風呂」と称する売春が行われていて、
その名はいつしか「ソープランド」と言う名に代わって、いまなお売春は後を絶たない。
まで続いていた。
(続く)