中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

寄り添っていただいているという実感を得て

 昨日、思いがけずスーパーマーケットで声をかけていただいた人がいる。
いつもは妻と二人で行く場所なのだが、妻がちょっと不調だったので私が一人で
買い物をしていた時だった。
 その方の何気ないごく自然にあふれている笑顔を見たときに「私は、この人に
寄り添っていただいている」と感じて胸が熱くなった。笑顔の中に何もかもが表れていた。
これまでは人に寄り添って生きることを自分の生き方としてきたが、高齢になり、
寄り添われる側になったが、自然な笑顔ひとつで人に安らぎを与えることを感じた
うれしい瞬間だった。
 
 先日発行したニューズレターに「寄り添って生きるとは」を書かせてもらった。
その文章を読んで、感動しましたという手紙を添えてご寄附くださった方もいるし、
会費納入を見合わせていた方が、振込用紙にコメントををつけて5名も入金してくださった。
 どんなことを書いたのかをちょっと紹介してみよう。
 
寄り添って生きるということは
  本会には、大まかに二つの理念があります。「がん患者と寄り添って生きる」ことと「正しいがん知識を啓発する」ことです。
正しいがん知識を啓発する運動は、毎月第2水曜日開催の「がんサロン」第3水曜日開催の「がん勉強会」そして、年に一度の『いのちを考え命を守るがん講演会』を開催するとともに、神戸市の市民講師に登録して機会あるごとに「正しいがん知識」を広めてまいりました。
 今日は「寄り添って生きる」とはどういうことなのか考えてみたいと思います。
 1昨年の美術展を取材に来られたM新聞社の記者は「寄り添って生きる」という意味が私にはわからないので、しばらく考えてから記事にしますとおっしゃった。
寄り添って生きるという言葉は、よく使われていますが、それがどういうことなのか深く考えた人が少ないのではないでしょうか。文字通り解釈してよいのか、深い意味があるか、考えれば考えるほど難しいと記者の方もおっしゃっていました。
先日、NHKBS1の放送で「ブラジルぐるっと6000キロ」という番組を観ました。
番組では世界一巨大なアマゾン川の奥地に住む人々の生活を紹介していました。
乾季には、学校や各家の周囲はすばらしい農園になり花壇になりますが、雨期になると
床近くにまで水が上がってきて野菜畑も花壇もなくなってしまいます。自転車通学をしていた生徒は、小さな手漕ぎボートで通学することになります。雨期になると僅かの野菜を箱の中で栽培するしかありませんが、魚はふんだんに釣ることができるのです。多くの美しい鳥が飛び交い自然の楽園のようです。
 このような暮らしを、原始的なものと思うのか、すばらしい生活環境と思えるのかは人それぞれでしょう。
 ここで言えることは、彼らは自然に逆らうことなく、自然をそのまま受け入れて、自然の恩恵を受けているということではないでしょうか。自然を破壊してでも、より以上に生活を楽にしたいとかを望むより、自然の中にあって自然に寄り添って生きることですばらしい家庭を築いているように感じました。
 さて、がん患者と寄り添って生きるとは、どう生き方でしょうか。
日本では二人に一人ががんになる時代だといわれながら、がん患者は特別な目で見られがちです。医師から「あなたはがんですよ」と告げられた瞬間から、その人は「がん患者」になってしまいます。昨日までがんだなんて思ってもいなかった人も、その日からがん患者になってしまいます。
 中には、がんだと知らないほうが幸せだと思えるような軽度で、たぶんその人はがんが原因では死なないだろうなと思える人も、本人は立派ながん患者だと信じ込んでしまっているようです。がんだと告げられた時から、苦しみや悩みが日々襲ってまいります。
再発や転移を恐れないがん患者は一人もいないでしょう。
 そのように日常的に内面に苦しみや悩みを持っているがん患者に対して、顔を見るたびに「大丈夫?」って聞く人がいます。いわれた方は心の中では「大丈夫なわけないでしょう」と思いながらも、大丈夫よと答える。
 「寄り添って生きる」ということは、がん患者に特定したことではありません。夫婦の場合でも同じだと思います。お互いを尊重し、相手の人格を認め合い、相手の時間も大切にすることで夫婦円満に暮らせるのではないでしょうか。
 わたしは、本会のメンバーたちから相談を受ければ、気持ちを込めてアドバイスをいたします。しかし、必要以上に家庭環境や経済事情や過去などに踏み込まないようにとの配慮をしています。寄り添うとは、自然体でそっと傍にいてあげることなのだと思っています。寄り添うとは、相手に対する優しさという意味での愛ではないでしょうか。
 気が付けば、いつもその方が傍にいてくださったことを思い出す。その程度の寄り添い方がベストなのではないでしょうか。必要があれば、いつでもその方に相談することができる。そして受け入れてもらえる…そんな感じの。
 最近の調査で、昆虫に触れられないという高校生が50%を超えていると報道されました。私の時代では100%の子供が昆虫に触っていましたし、自然界の中で彼らがどんな営みをしているかも知っていました。だから、動物たちに対してもやさしく接することができます。昆虫を見ると恐ろしくて殺してしまいたくなるような人たちが、残りの命が少なくなっている人に対してどんな「寄り添い」ができるのだろうと、案じてしまいます。
 自然の中に生まれ、自然を愛し、自然を認める中で、自然のすべてに寄り添って生きることができればと願っています。