中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

河川敷のキャンプについて

 この問題をこれまで、何度書いただろうか。
数年前にはあるNPOがやっていたネット新聞に小論文を掲載して
金賞をいただいたこともある。
 全国の河川敷キャンプ場などで毎年のように犠牲者が出ている。
どうしてなのか不思議でならない。
 犠牲者が出るたびに「管理責任」が問題視されるが、そんな馬鹿なことが
有ろうか。管理責任などをいちいち問われていては何もできないではないか。
 最近の気象情報と言うものはものすごく発達している。
私の子供のころ(70年以上前)に較べるとその情報量の多さ正確さは比較にも
ならない。
 気象衛星などから送られてくる情報はテレビでも詳しく報じられている。
それなのに、事故は無くならない。なぜなのだ。
 その理由の一つは、自分で学ぼうとしないからだ。気象情報だけに頼る
習慣が、何事も人に頼る人間を作っているのだと思う。
10歳で田んぼの中で作業をしている。冬も夏も・・・。
疲れると鍬を置き、手を休め空を見上げる。雲の動き、風を感じる。
風や雲の形などを観察する中で自然と気象と言うものをしる。
お天気博士と言うぐらい天気予報をすることに自信を持つまでになった。
 夏など入道雲(積乱雲)がモクモクと高くなっていく。3万メートル4万メートルにも
達する雲の先っちょが崩れて横に広がり始めると夕立が起こる。
これが豪雨になる可能性がある。空をみる習慣、水の怖さをよく知ることで
災害から身を守ることができる。
 犠牲になった人たちには申し訳ないが、あまりにも無知過ぎると私は思う。
河川敷と言う場所は、上流に雨が降れば増水する場所である。川の斜度が
きつい場所ほど早く増水するものだ。
 これほど気象情報があふれている今の時代にあって、河川敷で犠牲者が
でることに納得ができない。
 管理者責任など問うべきではない。河川敷には「自分の命は自分で守れ」
という立札を立てておけばよい。欧米ではすべの場所に「オウンリスク」の
立札が建てられている。「自己責任」で何でもやりなさい、と言う意味である。
 守れない事前災害もありが、守れる自然災害もなるということを知っておくべきだ。
私の住んでいる場所は、集中豪雨があればがけ崩れも有り得るところである。
 だから、避難勧告が出る可能性のある場所だ。もし避難勧告が出たらどうするか。
妻とじっくり話し合っている。そして結論を持っている。じっとしていよう。
運を天に任せよう。なぜか・・?? 勧告が出ても動けないかだら。
もし、海岸近くに住んでいて津波が来るぞと言われても逃げられない。
そんな人も世の中にはいっぱいいるということも、知ってもらいたい。
 ある地域の会合で、地域のコミュニケーションの大切さを訴える私の意見に
「地域のコミュニケーションなんていらない。いざと言うときは誰も助けてくれない
のだから」という発言する人がいて驚いたことがある。その発言者が医療者だと
知ったらあなたは驚くかもしれない。
 話がちょっとずれてしまったが、河川敷などでに自然災害は防げるものだと
言いたかっただけである。自己責任でキャンプをすべきだといいたい。
 そしてまた、自然災害が発生しても逃げられない人もまた「自己責任」の範疇で
覚悟を決めている。だが、助け合えることができる人たちは、お互いを助けねばならない。
それが「人間社会」と言うものだ。