中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

百年前(1900年)の「未来予想」

 この記事は、約13年前の2001年にJA・NEWS新聞の
連載「折々の随想」の中で書いたものです。
 新年を迎えようとしている今、87年前に予測されたものを
もう一度読み返してみるのも面白いのではないかと思い掲載しまう。
 
 
JA・NEWS新聞 2001年4月号掲載原稿
「折々の随想」()
 百年前の未来予想  (その3)
 
 昨年から海外向けに放送されている、NHKリバイバル連続朝ドラ「はね駒(はねこんま)の中に、ここで紹介している、報知新聞の「20世紀の予言」について触れているシーンがある。
 このドラマは、ちょうど今から百年前、20世紀に突入するころの物語であるところから、ドラマの主役(斎藤由貴)が演じる女性記者がこの記事について触れ、20世紀の夢を語るというシーンである。たまたまこの記事を紹介している私としては、驚くと共に嬉しかった。
 今月は、いよいよ百年前の「20世紀予言」の最終回となる。どのような予想が出てくるか楽しみにしていただきたい。
 
(14)「鉄道の速力
 「10世紀末に発明された葉巻型の機関車は一般的になり、列車は小さな家屋ほどの大きさになる。そして、あらゆる便利を備え、乗客を旅行していると感じさせないほどだ。せい暖房の装置が備え付けられ、速力は1時間に240キロメートル以上になり、東京―神戸間を2時間半で走る。今日、4日半を要するニューヨークーサンフランシスコ間は1昼夜で行ける。また、動力は、もちろん石炭を使用しないで、煤煙も無く、給水のために停車することもない」
 
 この予測は、あまりにも大胆であり、ほぼ正確なもので驚くほかない。どこからこんな予測をなし得たのかと筆者の見識に敬意を表する。
 皆さんもご存知だろうが、列車が電車で走るようになってからそんなに年月が経っていない。列車は石炭を用い、各地から東京に向かった乗客は煤煙でシャツが汚れ、東京駅地下にある風呂で体の汚れを落とし、シャツを着替え、朝飯を食ってから街に出て行ったものだった。こんなことを覚えている方もまだまだ多いだろう。
 この予想が書かかれた当時の列車は、東京―神戸間を17時間22分かかっていた。そのころに、大胆にも2時間半という数字をどうやってはじき出したのか。昭和に入ってからでも、新幹線の出現を予測しえた人は少ないだろうにと思う。
 明治の初期に鉄道が走り始めたころには、下駄や草履を脱いで列車に乗っていたということだし、窓から小便をしたものには10円、おならをした人には5円の罰金を課せられていた。巡査の月給が10円だったという時代である。
 以上のような、うそのような本当の話があった頃から、僅か20年後に出たのが初めに書いた予測である。凄い!!と思うほかない。
 
 (15)「市街鉄道」
  「馬車鉄道および鋼索鉄道の存在せしことは、老人の昔話にのみ残り、電車および圧搾空気車も大改造を加えられて、車輪はゴム製となり、かつ文明国の大都会にては街路上を去りて空中及び地中を走る」
 
 この予測で面白いのは、地下鉄及びモノレールの予測だと思う。市街地は自動車の普及によってあふれ、鉄道は地下か空中に向かうだろうと考えた予測はすばらしい。車輪はゴム製になるというのは騒音を消すためだと思われるが、これは一部の地下鉄に採用されているだけで、鉄道全般に普及するまでには至っていない。やっと鉄道が走り始めた頃に地下鉄を予測したことは評価できる。実際に地下鉄か開通したのは、昭和2年(1927年)で、浅草―上野間(2,2キロ)が大変な難工事の末に開通している。
 
(16)    鉄道の連絡」  
「航海は非常に便利になるが、同時に鉄道は五大州を貫通して、自由に通行
できる」
 あまりにも大胆かつ雄大な予測だが、これは実現したとはいえないかもし
れない。スエズ運河パナマ運河の建設で航海は五大州を通じて運航が可能
になったが、鉄道となると21世でも実現は難しかろう。日本だけのことで
いえば、この予測は実現している。本州―北海道間も鉄道で結ばれたし、九
州―本州も、四国―本州間も鉄道で結ばれている。また、フランスーイギリス
間もドーバー海峡トンネルができたので可能になった。予想は少々大胆すぎ
たが、規模を小さくすればあたっているといえるだろう。
 
(17)    「暴風を防ぐ」
「気象観測は発達し、天災がくることは1ヶ月以上も前に予測できるように
うなる。中でも、恐ろしい暴雨に対しては、大砲を空中に発射して、雨にし
てしまうので、20世紀の後半には、船が転覆してしまうようなことはなく
なる。地震は防ぎようがないが、家屋や道路は、その害から逃れるようなも
のができる」
 読者の皆さんは、この予測をどのように受け止めるだろうか。年配の方は
戦後に、原爆を台風の中心に落とせば台風が消えるから、今後は台風の被害
はなくなるだろうと言う噂?を聞いたことがあると思う。
 この予測をした頃に、気象台ではやっと天気図というものが作られ始め、
天気予想も「天気は一般に陰鬱にして、北部においては雨降れり」などとい
うものだった。それでもか画期的な出来事だったのである。
 たしかに、台風などは、台風発生時から正確に捉えられ、その進路も規模
も把握されるようになっている。地震は、百年後でも予測できないという予
測はあたっているといえるだろうか。地震に強い建物ができるというのは正
解に近いだろう。
 
(18)    「人の身幹」
「運動術と外科手術によって、人間の体は180センチに以上になる」
 当時の日本人男性の平均身長は、150センチ。現在は170センチを超
えているし、近い将来180センチに近づく可能性もないとは限らない。運
動術によってというくだりは、いくらかは的を射ているかもしれないが、外
科手術によって、、、という発想はあまりにも的外れだと思う。
 
(19)    「医術の進歩」
「薬の飲用はなくなり、電気針で苦痛なく幹部に薬を注入したり、顕微鏡と
X線の発達によって病原を発見し、応急の治療ができるようになる。また、
内科の領分は、十中八、九は外科手術に変わり、肺結核なども手術で治る。
切開術は電気により、少しも苦痛を受けることはない」
 現在、飲み薬は増えているし、内科の領分が外科に代わっているというこ
ともない。しかし、電子顕微鏡や、X線装置、レーザー光線、内視鏡、など
医療機器の発達はたぶん予測を超えているだろうと思う。また、抗生物質
どの発明によって、多くの病気が死の恐れから逃れることができるようにな
っている。今後は遺伝子の操作によってますます医療技術が進むだろう。
予測以上に医療は進歩したといえるのではないだろうか。
 
(20)    「自動車の世」
「馬車は廃止され、これに代わる自動車は安く買えるようになる。また、軍
用にも自転車と自動車が馬に代わって利用されるようになり、馬は物好きな
人に飼育されるようになる」
 最後の部分の「馬は物好きな人に、、」云々というのはおかしいが、その
他は予測どおりになっている。こういう予測は当たって当然と受け止める人
も多いだろうが、私が子供の頃の、昭和16年当時に大阪の市内を馬車が闊
歩していたと言う事実をご存知だろうか?もちろん東京だって例外ではな
い。昭和16年でも、運送会社にはトラックよりも馬車のほうが多かったの
である。
 馬が20頭も飼育されている運送会社でトラックは2台程度だった。どう
して知っているのかといえば、その当時私は毎日トラックの助手席に乗って
いたからであり、運送会社の広い敷地が遊び場であったからである。
だから、当たって当然のような自動車の普及も、この予測がされた僅か2年
(と思う)に、はじめて日本で自動車が走ったことを考え合わせれば、やは
り凄い予測だと言わねばならないだろう。世界を見渡しても、現在でも自動
車がさほど普及していない国は少なくない。初めて自動車が走った2年後に
自動車の普及を考えることが出来たほど、日本の工業化を信じるに足るもの
があったということである。
 
(21)    「人と獣の会話」
「動物の言葉の研究は進歩して、小学校に獣語課ができ、人と犬、猫、猿と
は自由に対話することができる。したがって、お手伝いさんなどの仕事の多
くは犬によって占められ、人が犬を使う世の中になる」
 これはちょっとお笑いかもしれない。もちろん現在はかなり研究は進んで
いるが、おそらく今後百年経っても不可能なことかもしれない予測である。
 
(22)「幼稚園の廃止」
 「人間の知識は遺伝により、非常に発達する。そして、家庭に無教育の人はいなくなり、幼稚園は不要になって、男女共に大学を卒業しないと一人前とみなされなくなる」
 この予測の「幼稚園が不要になる、、」はどうして不要になるのかわからないが、家庭に無教養な人がいなくなるというのは当たっている。当時は、小学校3年生まで行った人も多くはなく、まして大学などというものは、人口の1%にも満たない。(現在は約50%を越えている) そういう時代に、男女とも大学を、、というのは、男女平等をも予測しているわけで凄い見識だと思う。
 
(23「電気の輸送」
 「日本は琵琶湖の水を用い、アメリカはナイアガラの滝によって水力発電を起こし、それぞれ全国に輸送することになる」
 琵琶湖やナイアガラの水で電力が補えるわけはないが、それほどまでに当時は、電気についての知識が不足していたという証明にはなるし、そういう時期に、これまで書いてきたような予測がなされたことに改めて驚く。
 
 3回にわたり百年前の報知新聞に掲載された、「20世紀の予言」の紹介を終わることになるが、読み終えてどのように思われたのか興味は尽きない。読者の年代によって読み取り方にかなりの違いがあると思う。百年前といえば少し前という感じもしないでもないが、当時と現在とは隔世の感があるほどの様変わりに、いまさらながら近代化の嵐の凄さに驚くと共に、近代化が進むにしたがって急速に地球の破滅も近づいているような恐ろしさも感じるのは私だけだろうか。
 百年後はどうなるのだろうか。3年後でさえ予測が難しいほどのIT革命時代である。百年前の未来予想を紹介し終えたあと、百年後の予測を試してみるつもりであったが、考えるだけで恐ろしくなった。そんなことを考えないで、ゆっくりと今の時間を大事にして楽しみたいと思っている。