中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

いじめ問題・だれが悪い?(3)

 学校の階段の下あたりで、一人の2年生が、3年生から「おまえ生意気だぞ」
と言われたが、その場に数人の3年生もいたために、1年生を取り囲んだ形と
なった。
 学校側は、いじめの発端になりかねないと、問題視し1年生を保護するとともに
3年生に指導を始め、学校を上げてのいじめ対策として取り組んでいるらしい。
 昨夜、このようなTVニュースを見た。閉鎖的な学校には珍しく、その対応を
TVカメラが追っかけることを許していた。
 このニュースに多くの国民はなんと思っているのかが気にかかる。
そうだそうだ、徹底的に取り締まれ!と思っている火、やり過ぎだと思うのか。
 私は戦慄を覚える。恐ろしい世の中になったものだとおもう。しかも、私は
いじめられっ子だったのだから、学校の対策のありようは、間違った方向に行って
いるように思えてならない。
 これまでに書いたように、ちょっとしたきっかけでいじめが始まるのは間違いない。
だからと言って、その程度で、ここまで大騒ぎにしてしまう学校の姿勢と言うのは
絶対に間違っていると思うのだ。
 上級生が下級生に「生意気だズ」などと脅すのは昔からいくらでもあったことだ。
下級生はひるむし、そんなことはない方がいいに決まっているが、だからと言って
この程度で大騒ぎをしていては、きっと目に見えぬ形で、もっと大きな問題が
起るに違いない。
 子供たちの心情などを知らない教師たちがやる対応だと言いたい。
子供と言うものは、可愛いし天使のようなものである半面、恐ろしい側面も持っている。
その反面が見えたからと言って、その少年が悪ものでもなければ、悪魔でもない。
彼らは、大きな可能性のある少年たちなのだ。簡単に裁いてはいけない。社会の
さらしものにしてはいけない。
 一方、下級生は、小さな困難を乗り越えることを身につけなければ、社会に出てから
生きていけないだろうと心配する。
 この世は、食うか食われるかの社会であって、ああ・・怖い・・などと言っておれる
場ではない。
 小さな虫を怖がる子供が増えてきた。虫が出てきただけで逃げ回るのだ。馬鹿げている。
虫と言うものを知らないから恐れるのだ。無知は無知ゆえに身を滅ぼす。知識とは
生きていくための勝てであって、試験で良い点数をとるためや、名の知れた学校に
進学するためでもない。有名校出身者とて、馬鹿は馬鹿なのだから。生きる知恵の
ないものを、私は馬鹿と言うことにしている。生きるとは、己一人で生きるのだ。
精神的にひ弱であっては生きられない。恐れるな、強くなれ!といいたい。
私は、いじめられたので強くなれたと思っている一人である。