中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(115)

(115)
第四章 軋轢の中で
 
二年目のスタート「やるべき時にはちゃんとやる」
 
いよいよ、二年目がスタートしました。新しく二年生になった
一期生は、急に二五0名の後輩が入ってきたことに戸惑いを見
せていました。先輩の意地を見せようとしますが、何といっても
数で圧倒されてしまいます。
彼らは懸命に突っ張り、目一杯わがままをすることで先輩面を
していました。
彼らは、新任の多くの教師に対して反抗的でした。そして、こと
あるごとに、
「ここは、普通の学校と違うんや」
と言っていました。しかし、新任の教師たちは、彼らの、「普通の
学校と違う」という言葉の真意が理解できず、「彼らは自分を
卑下しているのだ」と受け取っていたようです。
彼らは、「新任の教師には分からない、この学校の良さがある
んや。この一年間、俺らとセンコーで作ってきたもんや。新任の
センコーが急に分かったふりして、教師面をしすぎる。俺らが、
この学校の先輩やで。先輩の顔を立ててくれよ」と言いたかった
のだろうし、急に「普通の学校」らしくなることに反発を持って
いました。
彼らは私のところに来て、「理事長、普通の学校みたいにしたら
あかんで。俺らは、あんな学校嫌やねん。ここの学校が気に入っと
るねん。新しいセンコーたちによう言うといてほしいわ。俺らは、
やる時にはちゃんとやるさかい、見といてんか」と言ってきました。
去年までと、がらっと変わった雰囲気に、生徒たちは危機感を抱
いた様子でした。
「やる時にはやる」という言葉には、いきさつがあるのです。
彼らが一年生の六月頃でした。飼っておいた野球ボール1ダースが
なくなったので、新たに買ってほしいと言ってきました。私は、
「こんなに早く一ダースもなくすとは、どういうことだ。なくなっ
たから買ってもらえるという甘い考え方をいちゃいかん。よく探し
なさい」と言いました。
彼らは、ブツブツいいながらも納得し、家からボールを持ってきて
使っているようでした。
午前中にかなり雨が降った日の午後でした。授業のベルが鳴った
のに(その頃、カウベルを廊下に吊るして鳴らしていました)、
誰も教室にいません。午後の一時限が過ぎても、誰も帰ってこな
いのです。
私たちが心配していると、全員がずぶ濡れ姿で帰ってきました。
そのうち三名が胸にボールを一杯抱えていました。
生徒たちの説明では、昼休みに校舎前の公園で野球をして遊んで
いるうちに、ボールが川に入ってしまった。たった一つのボール
なので川に入って探すことになり、雨で川は増水していたのでも
ぐって探したところ、ボールが三個、四個と拾えたので、みんな
「川へ入ってボールを拾え」ということになり、泳げないものは
川岸でボールを受け取り、泳げるものは川へ入ってボールを探し
たところ、三十個ほどのボールが拾えたというのです。隣が中学
校の運動場ですから、ボールが川に飛び込こんだのでしょう。
生徒一人一人、トイレから引いたホースで身体を洗ったりして大
騒ぎをしていましたが、楽しそうな彼らの姿に、授業をサボった
ことを注意しませんでした。その後しばしば、授業をエスケープ
するようになりました。このことに味をしめたからではなく、初夏
の暑さが原因だと思いますが、数名のグループが、ある日二時間
続けてエスケープしたことがありました。私は彼らの帰りを待ち
ました。彼ら帰ってきた時、教室の隅っこに彼らを座らせました。
「君達は、親に授業料を払わせ、授業料を払うために母親まで働か
せておいて、遊んでいいと思っているのか」
私は、大声で叱りながら涙がでそうでした。
「この学校は、君たちのために作ったんだ。高校へ行きたいのに
行けない生徒のために作ったんだ。君たちがやるべきことをちゃ
んとやってくれないと、この学校を作った意義がない。君たちの
ように授業をエスケープする生徒が増えたら、、この学校はつぶ
れてしまう。この学校は私が命がけで作った学校なんだ。この学
校をつぶすような行為は絶対に許さん。いいか、男はな、やるべ
き時にはちゃんとやるものだ」
そんな話をしたのです。
それまで穏やかだった私が、生徒を教室の隅へ座らせ、大声で、
しかも涙声で叱ったものだから、彼らの心にしみたようでした。
その日から二、三日後、生徒の声が私に聞こえてきました。
「おい、やめとこうや。理事長が命がけや言うとったぞ。そんなこ
としたら、ぶっ殺されるぞ」__と、誰かをたしなめているようで
した。
この時から、「やる時にはちゃんとやるのが神戸暁星魂」というこ
とになったのです。彼らの四年間、すべてやるべきことをやったと
言うわけではありませんが、ケジメをつけるべきところでは、しっ
かりとやるべきことをしたのです。例えば、わずか十八名の生徒が、
他の学年に負けないように結束し、卒業するまでの毎年、体育祭で
優勝をしてしまったのです。