中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(106)

(106)
NHKの取材 二学期になって
 
話はまだまだ一年生の夏休みなのに、卒業式の日までとんでいって
しまいました。もう一度、昭和五十九年の八月に戻しましょう。
八月の初めにNHK から取材の打診がありました。この前のサン
テレビの取材が生徒の協力を得られず思わしくなかったこと、きち
んとした報道にならないと世間に誤解を招きかねないことなどを話し、
取材の話は中断していました。しかし、ディレクターの阿部さんとは
、いろんな意味で教育論で共通するところがあり、近いうちにまた
お会いしましょうということになっていました。
お盆が過ぎたある日、暑い教室の中で阿部ディレクターと向かい
合っていました。阿部さんは、「昭和三十年代の後半から、学校の
民主化が逆の方向に進み出したような気がします。管理主義は国の
施策のように言う人がいるけれど、それ以前に教師の力量が下がって
しまったのではないかと考えています」
と、教育の現場の管理主義の広がりを憂いながら、次のようにおっ
しゃいました。
「裁くことより育てることを実践しようとしている神戸暁星学園に、
教育の新しい息吹きを感じています。このような教育方針は、当たり
前のようであってなかなかできないことだと思います。公立では実現
しにくいでしょうし、私学でも、人気を気にしていては『裁き』が
優先してしまう。学校を経営する人がよほどしっかりした哲学を持っ
ていないと、楽をしようとする教師集団の管理主義に巻き込まれるの
ではないでしょうか。ものすごくしんどいことだと思いますが、どうか
、生徒たちのためにがんばり続けて下さい」
NHK の取材は、慎重のうえに慎重にやって欲しいとお願いし、まず、
阿部ディレクターが数日にわたって生徒と話したうえで、構成を決め
るということになりました。
新学期に入りました。二学期は、学校にとって最も難しい時期だと
言われます。長い夏休み期間中に生徒たちは自由奔放の環境に置か
れやすく、さまざまな人との出会いや、新たな経験をする機会が多く
なります。
中学生や高校生のこの時期には、飛躍的に成長する生徒もいれば、
大きく崩れていく生徒も多く出てきます。教師は、この二学期の初
めに生徒を充分観察し、良きにつけ悪しにつけ、生徒の変化した状態
を正確につかんでおかなければなりません。「二学期に学校は荒れる」
という言葉があるように、最も注意を必要とする時期でもあるのです。
私たち教師は、どんな状態で生徒が学校に戻ってくるのだろうかを話
し合っていました。
実は、私にはそれ以上に心配していることがありました。生徒が学校
に戻ってくるのだろうかということです。戻ってきて当然だとは思っ
ていませんでした。一つには、七月下旬の奥津での体験学習の不満が
生徒の側にあったことでした。(もっとも卒業前、四年間の想い出特
集のアンケートをしたところ、この課外授業が、なんと想い出ナンバ
ーワンになっていました)。もう一つは、この学校に学んで本当に高
校を卒業できるのだろうかという気持ちが、親の間に不安として広が
っていたことでした。
しかし、何も心配することはありませんでした。彼らはたくましく
日焼けし、一段と大人っぽくなっていました。全員が元気に顔をそろ
えました。「案ずるより生むがやすし」と言いますが、文字通りでした。
それぞれが再会を喜びあっている姿を見て、やはり、この学校を作って
よかった、彼らはこの学校を必要としているんだと、改めて感じたの
です。
NHK の阿部ディレクターと、生徒全員が話し合いました。私たち教師
は一人も入らないで、安部さんと生徒たちの話し合いに任せました。
後で聞いたところでは、生徒たちは、
「ギャラは、なんぼくれるねん」
と聞いたそうです。「ギャラがないのやったらいやや」とも言った
そうです。しかし、阿部ディレクターと何度も話し合った後、生徒
たちは、
「あのオッサンに協力するぞ」
と、私に伝えに来ました。阿部さんの人柄に引かれたのは私だけでなく、
生徒たちも同じだったのです。
九月のある朝、ニュースの前の十分間、近畿地方一帯に、
「毎日通う、通信制高校
というタイトルの報道番組が、電波に乗りました。
雑居ビルが映され、そこに通う生徒の姿、授業風景、体育の授業風景
などが、アナウンサーのナレーションとともにテレビに映し出された
のです。(この時のアナウンサーは、後年とても有名になられた柿沼
さんだったのです)
この報道は、すごい反響を呼びました。朝八時前の放送であり、再放送
も午後一時過ぎとあって、教育関係者は、あまり見る機会がなかったの
ですが、一般の人たちに大きな反響を起こしました。もう、その日から
電話での問い合わせが殺到するありさまでした。
どれほどすごかったかと言えば、毎日毎日、教育相談に訪れる人が二ヵ
月以上も続き、狭い廊下で順番を待つという状態でした。私は、一人に
一時間以上の時間をさいて、可能な限り相談に乗りましたが、これほど
悩んでいる方が多いのに驚きもいたしました。もう、自分の時間がまっ
たくないというほどに忙殺されていました。
私は、見かけと違って身体が丈夫ではなく、血圧が低く、肝臓が丈夫で
ないためか疲れやすく、胃腸も弱いと、三拍子も四拍子もそろっている
うえに、気管が弱く、年中、咳が出るという体質です。ですから、しゃ
べることはあまりよくないのですが、そんなことを言っておれません。
昼食もしない日が多く、私の全体力を費やしての毎日でした。
新たな悩みこれほど大きな反響に、驚いたり喜んだりしてはいられない
悩みが私にはありました。反響が大きく、期待されるほど、別のプレッ
シャーが私を押しつぶしてしまいそうでした。