中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

「学ぶ」「読む」「経験する」を考える(8)

 これまでに書いてきたことを「ああそうですか」と素直に受け
取れる人はどれだけいるだろうか。点数主義に凝り固まっている
親の場合は「そうは言っても・・」と思うだろう。
  私が何を言いたいかと言うと、学校の勉強だけがすべてでは
なく、学ぶことは山のようにあるのだと言うことである。学校で
学ぶものは、人生の中では氷山の一角のようなものであって、学
校以外で学ぶことの方がはるかに多いということだ。
  学校と塾との往復の中で学べることは、本を読めばわかる内
容だが、自ら進んで学ぶものは本を読むだけでは理解できないも
のまで学ぶことができる。私は農作業の中で学んだことが、後の
ち役に立った。小学校の登下校の中で、様々な仕事をつぶさに観
察して学んだことも多い。道草が役に立ったのである。人が驚く
ほど仕事を変わったのは生きるためであったが、どの仕事も以後
の人生の大いに役立った。無駄なものはなかった。
  学校で学んだものは少ない。私の場合だけで言うと、学校で
学んだものは百万分の1にもならないほどだ。私が持っている知
識のほとんどは、自分で学びとったものなのだ。
  孔子論語の中で同じことを言っている。自分で学ぶことで、
自分で物事を判断できる人間になれるのだと。教えられた学問だ
けでは物事を正しく判断することはできない。
 そういうことを、子供の親や教師が知ることこそ大切なのだが
、やはり学校と塾の成績の方が大事だと思う親が多いのだろう。
そういう教育を受け、試験に受かり、官庁や大会社に入った人に
多くを期待できない。もっともっと野性的であってほしいと願っ
ている。個性的であってほしいと期待している。没個性の中に何
も生まれないからだ。
  将来リーダシップを取ろうと思う人は、もっと社会を知らな
ければならない。小学生から新聞を丁寧に読むようでなければ、
リーダーにはなれない。教科書の丸暗記や塾での成績にこだわっ
ているようでは、将来性のない子供が育ってしまう。親よ、勇気
を持って子供を突き放せ。千尋の谷に突き落とせ・・・と言うと、
間違って子供に暴力をふるうバカ親もいるから怖ろしい。