中原武志のブログ

生きていくうえでの様々なことを取り上げます

私流生き方(43)

自力で家を建てる・・・・簡単なようで簡単ではない。
まず建築確認書を提出することから始まる。もちろん図面も自分で
ひいて建築確認書も自分で書いて役所に提出し、認可を受けてから
でないと建築を始められない。
 
柱や梁と言った主要な部分には、古材を使ったので、以前の建築
の際の穴があちこちに開いているので、それを勘案しながら使い道
を考えるのが大変だった。夜になると、柱や梁の一本づつ4面の
図面を作って、古い穴と別の場所になるように工夫した。
古材は年月が経っていて堅い。だから鋸切りもノミも直ぐに切れ味
が悪くなる。鋸の目立ては自分ではできないので、目立て屋さんに
お願いしたが、ノミやカンナの刃は自分で研いだ。研ぐと言うのは
簡単ではない。台所用の包丁を研ぐのとはわけが違う。切れ味が
悪いと作業に影響するから上手に研がねばならない。
それまで建築などに全く縁のなかった素人だから、何をやるにしても
初めてだった。しかし、やればできるものだと言うことを、充分に知る
機会ともなった。
 
次いで、難しかったのは、柱の下の敷き石の上に直に柱を立てると
言うことだった。コンクリートでレベルを合わした土台がある場合には
その上に木を這わせて、その上に柱を立てていくので簡単だ。
しかし、一つ一つの敷石の上に柱を立てるには、敷石のレベルを
きちんと合わせておかなければ、家が傾いてしまう。
棟上げと言うのは、組立作業だから、組み合わせる柱と梁の穴の
位置や大きさが少しでも違っていれば作業が出来なくなる。
まして、レベル(水準)に少しでも狂いがあると、一巻の終わりだ。
 
棟上げが無事に完了したという喜びは、そう言ったことがすべて
計算された通りに進行したと言うことで、私の掘った各種の「ほうぞ」
も正確だったと言うことになる。全くの素人が描いた設計図、作業
が完ぺきだったというのが何よりも嬉しかった。
しかし棟上げは、柱と梁が組み合わさっただけと言えなくもない。
ここから先、どのようにして家の形にするのかが問題だった。
古家を解体した時の窓や敷居なども含まれていたので、なるべく
それを使いたかった。何しろ資金ゼロに近い中での建築なの
だから。
さて・・・窓の高さは? 棟が上がった状態で、窓の高さはどれ
ぐらいなのかもわからない。あちこちの家を訪ねて、地面から窓
までの高さを計測して決めた。窓をはめ込むための敷居はどの
ようにして柱に組み込むのか・・も分からない。他所の建築現場へ
いって、そっと見てくる。アア・・そうかとやってみる。こうして窓が
はめ込めた。
 
床の高さも分からないから、同じように他所の家をみて決めたが、
床の作り方が分からない。それも研究して旨く出来た。
簡単に書いたが、そう簡単ではない。
一番難儀したのが天井であった。他所の家を見ても天井がどの
ように作られているのか全く分からない。
建築現場を探しても、天井工事の現場はなかなか見つからない。
今なら本にでも書いてあるだろうが、あの当時(昭和36年)には
そんなものもない。
その上、天井を作るのは一人ではとても辛かった。苦労してやっと
出来あがった。
 
屋根もことも書いてお金がならない。当時から地震が怖かった。
南海地震の怖さを経験してからだと思う。地震に強くするためには
屋根を軽くすればよい。と言うことで、下に板を張った上にトタンを
張ることにした。
床も貼り、家らしくなった。台所も自分で作った。既製品のタイル
流しを買ってきて、それを添え付ける台を作った。
少々難儀したのは、風呂だった。風呂釜を買ってきて据え付ける
前に、焚口を作って木がよく燃える構造に作らなければならない。
工夫して作った。
多くのドアも手製だった。
面倒なので、一気に書いてしまったが、約6か月間でわが家は
完成した。そして、法務局にも登記したのだから立派な我が家で
ある。